Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

正しさの追求でなく 在宅介護

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 訪問介護の方は、対象者さんが亡くなった後は、家族が連絡をするまで黙って待っていてくれる。葬儀数日後に「パッケージをあけていない介護グッズ類を貰っていただけませんか」と問い合わせたら、いただきますと快く言ってくれて、お花を持ってお線香をあげに来てくれた。父だけがいるときだった。上の写真は数日後に私が行ったときで、すでにお花はくたびれ出していて、すぐ傷むピンクのストックは私が抜いてしまった後で絵的にも歯抜けだが。供養のお花は白青紫系が慣例なところ、あえてピンクのお花を持ってきてくれていた。訪問介護の方たちの、母と向き合ってきた自信。

 姉は母が亡くなったとき、「時々ものを食べさせたりしたので誤嚥性肺炎で逝っちゃったのかな」と言った。私は「介護の人は、心不全の数値も貧血の数値も呆れるばかりで手足もむくんでいるのに、肺の音がきれいで肺には水が溜まっていない様子と血中酸素濃度が(酸素チューブはしているものの)安定してずっと99を保っているのはもはや謎レベルだけど、苦しくないはずだからなにより、と前日にも言っていたから、そうじゃないと思うよ」と答えたが、続いて「でもね、そばにいたら、そのことに限らず、みんなその感じは抱えていて、それぞれに何かしらはあるから」と私は言った。そこに父もにいた。黙って聞いていた。父は私のそれを少し知っている。私は父のそれを少し知っている。言葉にはしない。慰めることもしない。お互い黙っているだけで来た。

 姉は、私や父よりも、生が内包するグレーゾーンは少し苦手な人だ。だから、自分のせいだろうかと口にしてしまう。でも姉が聞いてくれたから、私は父の前で口にでき、こういう介護であれば、グレーゾーンのリスクはそれはそういうものだからいいのだ的な安易な般化にはしないあり方で、でも「それぞれに抱えてるものがある」と私が感じていることとして、父にも聞いてもらえた。姉は「そうか」と言った。

 ときどきほんの少しの飲みものや食べものを母の口に入れることについて、介護の人は、誤嚥性肺炎のリスクについてを教えてはくれたが、母が味を認識して意識水準をパーッとあげるときの家族の嬉しさは共有してくれて、医学的正しさから止めることはしなかった。自己責任だ、と私たち家族は思ったが、介護の人は「認め推奨する」ことはしなかったが「自己責任でお願いします」のような無粋なことも言わなかった。

 持ってきたお花は、母はピンクのパジャマがよく似合っていたから寒色系でなくピンクを入れてきました、くらいの意識だったと思うが、白青系の慣例的なお花でないことに、こちらとしては「そうだよね、わたしたちはそうやってきたよね」という思いがピンク色と重なる。

 玄関先は、光の加減的に少しくたびれた花を置いても絵になるところがあるが、リビングに置いた母の遺影まわりは、今のところまだ、くたびれてきたお花があるのは家族の気持ちが行き届いていないようにも見えそうで、極力新鮮なお花ばかりにするようにしていた。なので一応写真のお花を「玄関にもっていこうか」と父に聞いた。「いいよ、それはもう少しそのままそこに置いといて」と返ってきたのでそのままにした。私もそれでいいと思った。