Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

人と牛と蘭に通底するもの(1)

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母が脳梗塞になって意思疎通がほとんどとれなくなる以前、心不全はすでに末期で、寝付いていたけれど、室内トイレを入れても母はかたくなにそれは使わずトイレまで歩いていった。だんだんとベッドから起きてトイレまで歩くにしても人の助けがいるようになったけれど。食事もリビングまでなんとか来ていた。介護士さんたちはあの心不全数値でありえない、もう普通はトイレも食事も寝付いたままになっていておかしくない状態だと驚いていた。家族は、そうなのか、ああママちゃんの意地っぱり気位だ、という認識だった。でも一度、一人でトイレに行こうとして間に合わず、その処理を、系統たてて思考したり実行したりする気力体力はもうなく、泣いて父を呼んで全部対処してもらったそうだ。翌々日くらいに実家に来た私に、母はそれを話した。色々なことを忘れるようになっていたけれど、その記憶は失くしていなかった。父に泣いて謝ったら父は、自分は農業高校で牛の直腸診もやってきたしこういうのは別にあたりまえのことなんだ、と言ったそうで、パパさんがパパさんで本当によかったと母は私に言った。

脳梗塞後の入院期間中、そのあとは退院させて在宅介護と家族は決めていたので、栄養剤投入やらオムツ替えやら家族介護者のための色々な練習日が何日か病院で設けられた。脳梗塞以前の母は、人の気配のある昼は安心してわりとよく眠るが、夜は、家族が寝付いて気配が消えると怖くなるのだろう不安発作を起こしていて、「そうなのよねぇ。隣の人が寝付いて気配が消えると起こすのよねぇ。(介護あるある)」と訪問介護の方も言っていたが、一番多く母の隣で晩を過ごしているのは父だったので、母の入院中は、父にはそれまでの休養をしてもらおうと、病院での練習は私が行って、諸々は在宅介護になってから父に伝授すればいいと、私が病院に通っていたら、一番メインの介護者になる父が来ていないがオムツ替えなどが父に本当にできるのかと病院側は心配した。「いや、父はできますから。農業経験もあって、牛の直腸診もしてきたような人ですから」と自分は答えてしまった。病院の看護師に「動物と人は違うんですよ」と呆れるように言われてしまい、あ、そりゃそう言われるわな、と自分の答えの間抜けぶりを振り返ったが、そこには介護に大事なことがあることは自分はもう知っていて、でも通じないかそりゃそうだ、とも思いつつ、父に、病院に心配されていると伝えたら、じゃぁいくよ、とさっくり病院に行ってくれた。

つづく