Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

万霊節の日に

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母が逝った。万霊節の日に。

2週ほどか、少し熱が続いていて、反応レベルの水準は下がっていたし、舌も喉奥に落ち込んでいた。でも、家に戻ってきたばかりの頃もそうだったところから、母なりのレベルでちゃんと覚醒して良くなったからね。血液検査の感染症数値があがっていて抗生物質点滴もなかなか効かない、でもそもそも心不全指標の数値も貧血数値もありえないレベルとは聞いてはいた。貧血の原因としては、内臓からの出血がずっとあるのだろうと推測されていたが、血液の流れをよくする脳梗塞再発予防薬の作用も出血が収まらない一因にあるようだし、貧血には鉄剤が出ていたけれどそもそも胃腸から出血してるぽいのが原因の貧血なら鉄剤を胃にいれたところで吸収できないのだろうし、胃に負担がかかるだけだから、今回のことを期に、そうした薬をこれからはもうやめていけばいいね。そしたらまたきっと意識水準もあがって安定するね、となぜかみんな、そうなることを知ってるかのような自信で信じてた。だってママちゃんだから、と。

抗生物質の点滴8日目くらいかな、2番目の抗生物質で感染数値が無事落ち着いた。ほらやっぱりママちゃんだから。そうなるってわかってた。

実際、感染数値が落ち着いたと聞く2日くらい前から、母の反応も少し良くなり、部屋からも身体からも病人臭がきれいになくなって、風通しがどこかよくなった。

またこれからだねママちゃん、と。午前中は、久しぶりにかなりの時間起きていた。

お昼に傍でパスタを食べているとき視線を感じて向いたらじっと見ていた。パスタ好きだったもんね。さすがにちょっと病み上がり?たての今の状態ではあげられないのママちゃん。

ふと口から水を入れて口中を濡らしてあげたくなって、楽のみで数滴を口に垂らした。

午後に、寝息にひっかかり音がするので、母は痛がって嫌がるけど痰吸引(自分も実験してみたことあり。痛苦しいですあれは。)をしようと準備をはじめたが、それにしても呼吸音の感じがいつもの痰のからみとは違う気もしてパルスオキシメーターを指にあて出てきた低い血中酸素数値に仰天して父を大声で呼び、それでもきっと痰吸引のタイミングを外して呼吸がしにくかったからに違いないどうしようと自分は手元もあわあわになり、父が痰吸引をしてるうちに呼吸がとまった。いやいやいや今じゃないでしょうママちゃん。二人ともびっくりして、父は人口呼吸をし、私は手足をさすると、ふわーっとオキシメーターの数値が97とかにあがる。自発呼吸はしてないのに肺に空気がいって手足をこすると血液が多分循環するから。だんだん、エラー表示の時間が長くなるんだけど、それでもたまにふわーっと血中酸素数値がそれなりの値で出る。しばらくして電話をした介護師の方が来て、その方に「でもほら、こうやってこんなに高い数値が出るんだよ」と指につけたままのオキシメーターを見せて、「瞳孔はもう開いてるからねそれ外してね」と言われるまで手足をマッサージし続けていた。

あったかいしこちらが手足刺激すれば血液は循環するみたいだし、あちらとこちらの境目なんてつまりはぜんぜんなくて思いっきり地続きで、その癖に戻ってこないことは、どうにも理不尽。今じゃないはずなんだけど!という感じで。

納得いかない感じは、でも少しずつ、とんがっていたところが丸くなっていくみたいな変性はしている。

調子がよくなってきた2日間ほどは、でも、私やお花とコンタクトが一瞬とれても、すぐにぼんやりと左上方の天袋の方に視線がいってずっとその方向を見ていた。こうなってみれば、脳梗塞になる前、「夢うつつのときにおかあちゃんと誰やらの遺影があそこに浮かんでたんだ」、と言っていたのを思い出した。

ベッド脇の花と、その向こうの障子戸の花を、その位置に移動した。(上写真)

二つ並べると母娘か。。。

万霊節の日に。