間歇泉
昭和時代の母娘関係なんて、きれいごとでは済まない。その時々の怒りやらや悔しさやら、ちゃんと覚えておいた方がボケないかな、それとも、そこだけ覚えてるとボケるかな。
まぁどうでもいいや。
寂しいはある。悲しいはない。間歇泉発作が時々ある。ああ自分が泣いているわけではないな、と感じることも。今はもうすっかり冬空だが、少し前、カラマツが金色の雨を降らせているとき。これは母の反応なのか自分の反応なのか。
きれいだよね、お外はこんなにきれいだもんね。
少し遅れて友人のご母堂が亡くなった。その友人も姉も、息をしなくなった母親と数日対面したり触ったりしながら、自分の知ってたママさんのお顔じゃないなぁ、この中にはいないんだなぁ、と感じていったみたい。自分は、母が母の身体にいない、とかって感じ方はしてなかったな。母の身体にいる、とも思わなかったけど。49日内は、家にいたりするよ、とかってよく聞く話は、ちょっとこわごわ好奇心だけど、家の中で自分の外側に気配を感じるようなことも、ないな。ありそうな気もしない。でも時々、自分の反応ってだけじゃない、何か(母か?)が自分と摩擦を起こしているような間歇泉発作がある。