Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

タコのない正月なんて

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1年前の1月4日の日付でスマホに入っていた写真。毎年、正月になると庭の水仙を母は活けていたけれど、1年前は、ごはんの際に起きてきて機嫌(と容体)がいいと軽口をたたく程度で、正月の水仙のことを母は自分から思い出すことはなかった。昼間寝て、夜眠ってくれなかったので、昼間になんとか活動してもらおうと、庭の水仙やらハサミやらを私が母の前に用意して活けてもらった。手はしびれなどでだいぶ使えなくなっていたので、結局私が母のリモートを受けてやってたような気もする。起きててもらおうと思ってやったのだが、それに疲れて結局やっぱり寝室に行って眠ってしまった。2、3時間後にまた起きたときには「あの水仙はお前が活けたのか?」と忘れていたけれど、それを見て、正月と水仙は、うちではセットだったことを思い出した様子は見てとれた。

 正月前のそのときの暮れは、病院から母は自主退院したてで、わたしも適応探しの状態だった。先に実家入りしていた私に「姉は、隣町の大きな魚屋なら生タコあるし、30日は夕方5時までってサイトにあるから、まだ間に合う。生たこ買いに行ったら?」という助言電話が来たが、実家の慣れない車で片道25分の土地勘のあまりない隣町に行くのが怖く、今回の暮れ正月は、暮れ正月とかでなく、まずは介護生活がまわるような環境調整を優先しようと行かなかったら、日付も怪しかった母が31日になるとにわかに大晦日だと認識して「生たこがない!」ことも認識したのだった。でももう31日は生たこの買える隣町のお店はあいていまてん。そしてことあるごとにというか、自分はさっき言ったことを忘れるので「生タコのない正月なんて」と何度も言うのだった。「じゃあ、まだあいているスーパーで茹でタコを買ってくるよ」と言っても、用意されてなかったことでへそを曲げてしまっており(ご不満を言ったことは忘れるけれど、機嫌損ねた感情は不思議と継続され「タコのない正月なんて」というご不満表面は繰り返し続くので)私と泣きのケンカになり。ケンカしているうちに、母は兄弟姉妹が多く、家はそう裕福でもなかったので真ん中の母はほとんどわがままのようなことを言える立場でないのだが、なぜか正月の用意では、母好物のタコは必ず優先的に用意されていたらしいことが判明。私が小さい頃は、父と一緒に暮れにアメ横に行くのがイベントで、そこで父は必ずゆでだこを買っていて、お正月はタコを用意するものらしい、とインプットされていたけれど、母用だったのか、と私の側の認識書き換えが行われ、そのうち、母はゆでだこより生タコの方が好きだとなって、生タコが用意されるようになったらしい、と了解した。そういうことなら無理しても隣町に行ってあげればよかったなぁと思ったが、結局生タコは、家の冷凍庫にあったので(父が忘れていた)正月に生タコは食卓に並んだ。でも最初からこれに気づいてたら泣きながらのケンカなんてしてなくて、小さい頃から、正月のタコが、自分も親に大事にされているという表象になっていたという、母にとっての大事な話は、きっと聞けなかった。ケンカは疲れたけど。私はこれから生タコを見るたびに「タコのない正月なんて」を思い出すだろう。そうだねタコは欲しいよね。。。

 母の実家の商家が、知り合いご近所らのハブ地だった影響だろう、姉の友人も私の友人も高校大学の頃はうちをハブ地にしていて、正月になるとうちに来ては、友達が友達を「●●のうちにいるから来いよ」的に勝手に呼びだしていた。中には勝手に冷蔵庫をあけるつわものもいて、生タコをみつけて自分で切って「これうまいね」とやられたこともあるのだが、そういうことには母は機嫌を損ねずご機嫌だった。笑いながら、ことあるごとに思い出して話していた。

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 49日という日付がどう決まっているのかわからないけれど、確かにそのくらいから、母の身体に触っていた感触が薄れてきた不思議。正月のタコの意味認識が、子どもの頃にさかのぼって変わったみたいに、母との関係の景色も、子どもの頃にまでさかのぼってそのクオリア?が変わっていく。母の勝手さに、頭に来てたこと、悲しかったことなどが、どうでもよくなっていったり。自分の手の中で看取った瞬間前後の生な手触りで感じていった生死の境界なしの地続き感は、自分の内側に抽象化され、死もタブーではない何かになって、自分が持ち続けていた母への閉塞的な苦しい感情のようなものにも、そんなにも100%生に執着しなくてもよかったんだろうなといった風(かぜ)が、今は通っている。風通しがいい。子どもの頃からこの風に気づいて感じられていたら、もっと自分も母も楽だったのだろうな、と思わなくもないが、今、自分自身がその風になって、小さい頃から母が死ぬまでの自分のところで吹いてみると(時空がヘンテコになるがその風は当時から吹いていたとも確信的に感じるのだが)、母といる昔の自分が、その風に気づかろろうが気づかなかろうが、風の自分にはどうでもいい。

 在宅看取りも、自分たちには流れの中で自然に起こってきたことでもあり、今は、病院でなく在宅で看取れてよかったとも、ことさらにはあまり思っていない。そういうことになって、あまり困らずにこれたことに対して、色々なめぐりあわせへの感謝があるだけ。

 以下は触った感触が完全になくなってしまう前に。

訪問介護の方は、褥瘡テープとかテープをはがす際の液とか(今はいいのがあるのね)ケアとしてクリティカルなところのグッズは色々知っている。家族として以外と穴だったのが、お顔のケア。「お顔がくすんでくるなぁ。病気だからしょうがないのかな」じゃなかった。顔ぞりやケア、そりゃそうだ自分でできないんだ、と途中で気づいた。

電動レディースカミソリと、寝たまま顔をぬぐうだけで基礎ケアができるよというコンセプトの化粧水シート。最近は自分もこのズボラシート使っちゃったり。お布団の中ではまだやってないけど。。。

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