Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

ピンクがお似合い

介護士の方が、母親から、経鼻栄養チューブ、酸素チューブ、尿カテーテルを全部外してくれた。父は、なにやら母に語りかけていた。いつも突然で人騒がせな人ですね、このくらいの面倒は気にしなくてもいいのに、とか。

そういえば、こんなにチューブにつながれて、言葉も動きもほとんどない状態だったけど、見る側が動揺してしまうような悲壮感を不思議と感じさせることがなかった(親ばかならぬ子どもバカか)。そんな状態になっても親しい友達も来てくれて、肌がつやつやできれいね、とか声かけしてもらえることが多かった。「次はきっと少し身体を起こせるわね。」なんて前向きに励まされると、目を閉じてぷいっと横を向いたけれど。それも同情喚起や罪悪感喚起にはならず、いかにもな母らしさを感じさせ、あ、やっぱりわかってるのね、という感動で、母と通じることのできた嬉しさの方が上回るようだった。お友達らは「私も頑張るからね。また来るね」と言って帰っていく。二人ほど「なんか、帰り際にありがとうって言われたわ」、と言う方もいた。

少し調子が良かった頃は、タモリさんの中国語みたいに、明らかに響きは日本語なのだが、意味を了解できないことを2度ほど父に長々話したそうだ。何を言ったのか。

意味をなす言葉で出たのは、お友達への「ありがとう」と、着替えをさせるときに父と姉へ言った「痛いよ」と、私と父が二人でオムツ替えをしたときは言わなかったけれど一番最初に父が一人でオムツ替えをするときに「嫌だ」と言ったとかいう3語で、言語を組み合わせ構築させなくていい、短い響きで1セットになっているような語は、ポコッと出ることもあったみたい。

家族と介護士の人たちは、母からありがとうの言葉は聞けなかった。言えたことのある語でも、調子によって出てこない、ということはあったとは思うが、オムツの世話をする人に、母はその語をきっと言えないだろう、という気はする。ただオムツを変えるときに、調子がよいときは、態勢を横向きにして少し動く左側を上にする場合は、左手でベッドの手すりをなんとかつかんで態勢が転がり戻らないよう協力してくれた。それで十分だった。

見栄っ張りさんなので、お友達が、動く方の手をグーパーさせてくれると、家族がさせるよりも少し長くやってくれた。オムツ替えなしで理学療法士の方に来てもらって、少しリハビリ運動をさせてもらうことにしたらいいかも、ということになって、その際には、浴衣タイプではないズボンのあるパジャマを用意した方がよかろうと、マジックテープで肩やズボンが開くパジャマも用意したが、それを使うことはなかった。あれが一番高かったのに!

浴衣タイプの寝巻は、病院で売られているものは私が気に入らず、「介護、浴衣、寝巻」とかから検索を初めて、「バスローブ、寝巻」とかの語に変えながら、明るいものを買っていた。介護士さんらもせっせと着替えさせてくれて、あっという間にくたびれるので、まめに新しいものを買っておいた。最終的には「マタニティー、入院、寝巻」みたいな検索語になった。どんどん若返ってる笑。最初のうちは、介護士さんらは「娘さんが来てるときじゃないと新しいものをおろすのは悪いわね」とか言っていたが「だいぶ涼しくなってきたし、少し厚手のこれ、おろしてもいいわね」とか言って、似合う、これ好き、とかきゃあきゃあいいながら着せてくれていたらしい。

一番好評だった寝巻で逝った。濃いピンクのストライプ。

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