Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

なんでもいい、けどそれはダメ

 寝付いたばかりの頃、母の母(祖母)が寝付いた時と自分のこの心臓は同じだと言っていた。秋に新婚旅行から戻ってきたら、おかあちゃ(祖母)が寝付いており、そのままちょうど1年で逝った、と。(母も秋に寝付いて1年だった。)リビングの葬儀パンフを見ておけ、と言ったのはその頃。その時、大島を棺に入れるなよ、とも言った。軽くてあったかくていいと、旅行などでよく着ていた大島紬の作務衣を自分に着せて棺に入れるな、焼いたらもったいないから、ということらしい。

 初老の頃、もちろん日常は普通に洋服を着ていたが、なにかのときに着物を着る際、帯がしんどくなってきたのか、二部式着物(帯なしで上部の衣と裾部に分かれていて上部は甚平のようにひも結びであわせて着る)を仕立てていた気配があった。その際に、手持ちの大島で作務衣も仕立てたようだ。結局よく着ていたのは、その作務衣と、食事などの際には別の大島で仕立てた二部式着物だった。

 その大島はダメと先に言われて思い巡らせてみると、そんなシチュエーションで着せるものとしてしっくりくるのはそれなんですけど、と思ったが、お前はきっとそう思うだろうからと先回りしてそれはダメと言われたのだった。かといってこれという指定もしてこなかった。困ったな。なんかデートの食事はなんでもいいと言ったのに、じゃあ中華にしよう、と言うと、えー中華はいや、とか言う女の子みたいな圧力を感じるんですけどー。とりあえずペンディングにしておいた。

 脳梗塞後、タンスの引き出しを見てまわった。ざらっと数着の二部式着物が出てきた。縮緬の色半襟をつけた肌着も、半襟の色ちがいで数着。だいたい、どの着物にどの半襟をあわせようと考えていかわかる。ここまでしておいて、しまわれていた着物群にはしつけがついたままだった。つまり仕立ててから着たことがない。化繊の遊び着。結局、軽くてあったかい大島ばかりを着ていた。そう高くはないだろうこれら化繊の遊び着二部式を、あわせる色半襟まで調えていたことからも、わくわくしながら自分で仕立てたのだろうが、母は覚えていなかったようだ。でもこれならもったいないからダメとは言われないだろう。それらの中で、明らかにこれを作った頃の母は、まずこの色目は着なかったろうに、でも魅かれて作っておきたくなったんだねこれ、とわかるものがあった。あーこれだね、ままちゃん。

 一応、他のものも含めて顔もとに着物を持っていって、顔映りを確認した。さすがにそれは母が眠っているときに。 

 一式を一つの引き出しに入れた。足袋もそろえて。庭で白藤が揺れていた頃。

f:id:higanzakura109:20211203142237j:plain