Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

散る花降る花

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師走に入院し「この心不全の状態では今帰ったらすぐにもどうなるかわかりませんよ」と医師に言われても「別にもう治ることはないんだから家に帰る」と言い切って自主退院し、家に来た見舞いの友人たちや訪問介護の人たちに、母は武勇伝のように繰り返しそれを話していた。でも夜になると毎夜何度も不安発作を起こした。心不全で苦しさを体験すると、またなるかもということで不安発作も併発しやすいらしい。記憶や認知機能が落ちていき夜に何度も不安発作を起こしては家の者を起こしていることは覚えていられなかった。他の人への、死を厭わない風の武勇伝語りは、吟遊詩人が繰り返すサーガのようになったけれど、家族に対しては、自分が末期の心不全だという事実認識も手放していき、風邪をこじらせちゃったのかなかなか治らなくて参った苦しい、とも言い出すようになって、治るつもりなんだ、とこちらがびっくりするような、目から鱗が落ちるような思いをした。

訪問介護の方が、私に「今年のさくらは見えるかなぁ。。。」と言った。

さくらは咲いた。今年切る予定だという木から枝をとってきた。上写真。昔お花の先生だったので(娘らは習ってまてん)、娘の投げ入れ方にダメ出しをしていた。

サクラが散るころ、眠っている間に脳梗塞を起こした。

「何かあっても胃ろう(胃に穴をあけて直接栄養を入れる)までしてながらえさせるのはやめてくれ」とそれ以前に言っていたが、脳梗塞後の入院の間、病院は経鼻チューブで液体栄養を胃に入れていた。ママさん、そんなのがあるなんて知らなかったよねぇ。知ってたらそれでながらえるのもやだ、と言ったかもしれない。脳梗塞治療の2週間の入院後は、そのあとリハビリを強化しても大きな機能回復は見込めないとの判断で、介護メインの病院への入院か在宅介護という選択肢のうち、在宅介護にすることには皆迷いはなかったが、栄養をどうするか。推測も含めての母の言葉通りの希望にするなら、胃ろうも経鼻チューブもせず、点滴だけにして弱っていくのを見守るパタンだろう。でも経鼻チューブの栄養とすることにした。決まった翌日、一人で車を運転していたら、ふいに号泣発作に見舞われた。一度だけ。平気風武勇伝的な母節と、不安含めてのほんとのところは違うみたいだったし、いいよね。いいのかな。でももう決めてしまった。

母が脳梗塞で再入院となった日、左脳が真っ白な画像を見せてもらって予後予想を聞き、病院から帰宅してテレビをつけたら、さくらの番組をやっていた。「願わくは 花の下にて 春しなむ そのきさらぎの 望月のころ」という自分の歌通りに、西行はさくらの頃に逝ったという。父が「おばさん、同じことしやがった」とつぶやいた。二度。

そのときは、母が、散るさくらでまた西行でもあるように、父のつぶやきをとらえていた。

2週間後、母が家に戻ってくる頃、こんな曲が動画にあがった。

www.youtube.com

花がふってくると思う
花がふってくるとおもう
この てのひらにうけとろうとおもう

今は、ずっと降ってくる花の下の西行は、誰だろう。父、だけでなく。

介護はみなで宴をしてるのかもしれない。

 

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今週の母部屋花 ツワブキ