Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

Life must go on

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 小春日和の、発つのにこれ以上望めないようなお天気の日に、母は出ていった。

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生活は続く。

脊椎管狭窄症による手の痛みとしびれなどはもう何年も前からで、家事は以前から少しずつ母から父の方に移っていて、動けて話もできた最後の夏は三食の用意もすべて父がしていた。母に電話をすると「(コロナだし)来なくていいよ」とやけに機嫌がよかったのは、今や父に全部甘えられる状況がうれしい様子でもあった。それでもお口は妥協せずに出すので、父がカリカリきていることもあったが、今となっては父の仕込まれっぷりが半端ない。(お掃除片付けは母もダメダメ系で口でも指示だしできなかったのだろう、生活領域の部屋は介護保険の訪問サービスのお掃除を以前から頼んでいたが。)朝は今も必ず、畑の野菜と果物でスロージュースが出てくる。娘らはひたすら朝ごはんはいただくだけの人たち。「ここの娘は二人とも帰ってきても朝起きしやがらない」と言われたけれど、朝は年上のお方の方がおつよーございますのでおとーさま。お米は家庭用精米機で炊く分だけ玄米から精米し、寒天をちぎり入れ氷のかけらを入れて炊くという、母の方法そのままを父が繰り返しているのを見ると、なんとも言えない気持ちになる。実家の炊き立てごはんはだから今も美味しい。朝食の支度をそれでも少しはてつだおーとした娘ら二人とも、味噌汁の豆腐を入れるタイミングで最近父からダメ出しをくらって教育された笑。さすがに3食の準備を自分のためだけにするのは嫌になったと、朝は以前の母の慣習通りに調えるが、昼夜のおかずについては、高齢者むけ宅配弁当も利用している。

きどった社交はもともとないが年齢も加わり気楽なつきあいばかりになって、奥のお座敷は、一番涼しい部屋ということで十数年前から食品貯蔵庫のようなことになっていた。義兄が、ぎりぎり滑り込みの魔法のようなタイミングできれいに片付け拭き掃除までしてくれて、母が綺麗な座敷から出ていけたのはうれしかった。

母が出ていったあと、11月の終わりには、庭で収穫された大量のキウイが置かれていた。義兄から「夢破れて山河あり笑」と写真とメールが来た。「あの奇跡は忘れない」と返した。

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「イイネ!!というのは、これはキウイの品種名か何かですか?」と父に聞いたら、大きくて粒が揃っているのを分けた籠で、母のお友達らに差し上げるのにもいいね、なのだそうで。朝のスロージュースにも入ってます。