Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

2016.12.08「WG展」記事まとめ ①〜⑤まで

① コンセプトの中にトプンと入る 出てくる時は別の人

 「ゴッホゴーギャン展」と記事タイトルに書く気になれなかった。クラーナハは好き。ヤンファンエイクも好き。好きと天衣無縫に言い切れないとタ イトルには自分は書けないのかしらん。ゴッホの絵は、自分も見て気持ちいいと思えるものは沢山ある。心動くものも沢山ある。今回の「ゴーギャンの椅子」の ように泣きたくなるくらいのものさえある。けれど自分のその感じを「好き」とは自分は言わないみたいだ。ゴーギャンは、今回初めて見たハムの絵は好き。他 のものは、今までも少しは見る機会があったけれど、自分にはゴーギャンの絵から何かを感じるヒダがないのだ、そんなヒダを欲しいともとりたてて別に思わな いとずっと思っていた気がするが、今回の企画展コンセプトの中に身を委ねて入って見ていけば、他の絵についても自ずと何かは感じてしまうようになってい た。こういう企画をたて、アレンジし、文を作り、配置を考えるのは、学芸員さん?なのだろうか。すごい。鳥肌。

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 最 後ミュージアムショップ横にあったガチャガチャを、連れに唆されてやってみたり。チケットを2枚もらったと誘われた。忙しい人なので珍しい。BLも読まれ る年期の入った貴腐人。「ゴッホゴーギャンのこと何か知ってたの?」と聞いたら「いや全然知りませんでした」。嘘つき。

 

② ザワザワするならば

 Fuji to Higanzakuraで書いてきたHiganzakurai視点記事は、発達障害関係の現象と関連させながらも、発達障害とは独立のこととしても言える何かをずっと一応目指している。常に意識しているわけではないけれど。

それは、今のところ振り返れば、

異質な他者との出逢いも通して、自身の「発達のあり方」(or「表現のあり方」)を求め引き受け実践していくこと、

であり、

「自分の中の何かを物語るという表現」と「自身に見えたままの表現」との違い、断絶、交差について、

などだ。

ゴッホゴーギャンという異質同士の強烈な出逢いと、その中での、またそれを経ての、それぞれの表現を展示しているともいえる本企画。説明によれば、自分の中の物語を描くゴーギャン、自分に見えたものを描くゴッホ

それぞれが描いた肘掛け椅子の絵に、色々思う。

そしてどうやら私は私自身に対して今怒っている?かもしれない。

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ガチャガチャカプセルの中身はゴーギャンの椅子だった。

 

③ ザワザワを見ていく

 私は先に書いた「崩れ」という記事で、異質な他者と出逢うことも通して、「自身の」発達や表現を求めていくことについてを書き、その最後では、

”そのプロセスを、胸をつまらせながら、見守っていく。いや、もし共にいる光栄を得られたら、感動と共に見つめ見させていただく。ただそれだけだ。”

と 書いた。ついこの間のことだ。この自分の言葉通りとすれば、ゴッホゴーギャンは異質な者同士として出逢って分かれ、それぞれの表現のあり方をそのような 出逢いを通して深め、ゴーギャンも言っているように、その幾分かは実を結んだと言え、それぞれが描いた肘掛け椅子の絵には、相手へのリスペクトや愛や受容 やらありながらも、それでもそれがそれぞれ別個の表現でもあることに感動もしながら、私は一連のその表現プロセスを胸をつまらせて見させていただく、でき るのはただだそれだけだ、ということになる。実際、本展覧会順路の流れの中で自分がしたのはまさにそれだ。

 ただついこのあいだ、「崩れ」 を書きながら思っていたこと感じていたことと、この展覧会コンセプトの類似性の付置に、やはりそういうものなのだ、そのように表現はできていくものなの だ、と重ねて納得して達観できるのか?していいのか?という自分への怒りめいたものも同時にあがってきた。

 見て、気持ち良くも思い、心動 かされもする。そのような絵自体に納得しないわけではない。そもそも絵は、私のちっぽけな「納得できるかどうか」など軽々超えている。そこは手放す。でも こうした表現(絵)ができあがっていくプロセスに、「生身の二人」がそれぞれ行き着いていったところへのプロセスに、それは表現に伴うプロセスで、そういうものなのだから必要でしょうがないのだ、と納得して達観はしたくないらしいしできないみたいだ。

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日本好き、浮き世絵好きゴッホが、日本の自然を、ハリモミの黄色をl描いているパラレルワールドを想う。 

 

④ 光を、希望などにはしない。それでも光は光。

ゴーギャンは、遠く離れたタヒチに行った。ゴッホは、あんなにも日本に憧れながら、一人日本に行くことはわずかたりとも夢見はしなかったのだろうか。お金のあるなしはさておき。

  昔、毎度のごとく家人にひきずられてゴッホ美術館に行き、それまでは興味もなかったゴッホだが、大量の作品をずっと見るうちに、確かに絵をみながら何かが心動くようになった。けれどそこで、ゴッホが 南仏のアルルに移り住んだときに、アルルの光は憧れの日本の光のようだ、と喜んでいたということを知って、正直随分勘違いな人だ、とも思った。私は、あち らに滞在中、最後の3、4年は今振り返ると、具合が色々と悪かった。その時期がなければまるで思わなかったろうが、ベルギー、オランダ、北ドイツあたりの 暗さが骨の髄にまで沁みこんでこたえたとき、南仏と、今暮らす日本のこの地での光を、同じように感じるチャンネルが今の自分にはある。ゴッホは、浮き世絵からでしか日本の光は知らなかったにせよ、南仏と日本の光の重ね見は、それほど頓狂ではない。もしくは私が色々なおかげさまで少々頓狂になったかだ。ゴッホにとっては(ゴッホ以外の者にとっても)、きっと繋がる何かが、同じ何かがあるのだろう、と今は思える。

  今の時代の、凄腕のコーチングの方だったら、日本への憧れの思いを、現実的に無理だからと蓋をせずに、引き出して日本に行くことさえ現実化されたりしてしまうようなこともありえるだろうか。セラピーよりコーチングの方が強力に思いを現実化させていくイメージがあるが、現実化を目的としないのであれば、セラピーでも、日本への憧れ などについて、改めて気づきなおしたり温めたりというのは、することではあるだろう。こちらから言う言わないはわからないけれど。

 発達障害的な現象に私(たち)はきゅうきゅ うとしすぎただろうか。セラピストークライエント関係は、常に、ゴッホゴーギャン的 なものとばかりではないはずなのだけれど。ここ10年以上、そんなふうにばかり感じてきていたような気がする。確かに、そのような関係性へとどんどん嵌っ ていくとき、それは意図してのものではない。そうなったら、どんなに胸が痛もうと、「表現」のプロセスと信じるしかできないのだけれど、展開しているその 現実とは異なるパラレルワールドは、どこにもないものとしてしまわなければいけないものでもない。

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雪まで降った今となっては、もう随分昔の写真。こんな黄色の光も好きかな。

 

⑤ 。。。。。

 ゴッホのサン=レミ精神病院入院時代の傑作群も残るこの現実世界を、ゴッホの(またもしかしたら自分も含め鑑賞する人それぞれの)引き裂かれた半身のようにも、愛おしむ。

  一方で。ゴッホの亡くなった年は、日本は明治23年。明治も20年余ともなれば、日本も、取り入れてきた西洋文化の影響で、ゴッホが憧れていたような日本の絵の流れも表からは既に埋もれてしまっていたかもしれないけれど。ゴッホが日本に来て、そんな生き埋め状態に一見なっていつつも江戸からの流れも自分の中でつなぎつつしたたかに表現し続けている絵師さんらに出逢って化学反応、今あるような日本の美術史の流れもぐわーっとかわったものになっちゃいました、みたいな荒唐無稽なファンタジー小説か漫画、誰かかいてくれたら、読みます。

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