Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

2016.11.30 「崩れ」記事まとめ①〜⑨まで

2016.11.30 「崩れ」記事まとめ①〜⑨まで① 「崩れ」 幸田文

 図書館の富士山コーナーにやまほどある富士山関連本の中から「崩れ」を見つけた。10代の頃、幸田露伴の「五重の塔」からの流れで、幸田文の諸作 品にいき、随分と惹かれて「みそっかす」「父こんなこと」「おとうと」「流れ」などを読み進めた。「崩れ」にいたったとき、それは、それ以前の自伝的小説 や自伝的随筆とは随分と異なっており、面白さが当時は感じ取れなかったことを思い出した。

 富士山を祀る、周囲に多くある浅間神社の境内に諏訪神社も共にある事が多いのはなぜだろうと本を探しにきたのに、それとはなんの関係もない、この「崩れ」を持ち帰った。

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② 物語でなく、メタファーでなく

 「崩れ」は、70代を過ぎた著者が、有名な山河の崩壊地である大谷崩れを見たことが きっかけで、そのような全国各地の崩壊地−崩れーを見て回って書かれたものだ。富士山の大沢崩れにも訪れて書いていることから、富士山コーナーの本の一つ に収まっていたようだ。ルポルタ−ジュと言ってもいいかもしれない。著者が抱いた、その光景への情感はあるが、自身へと戻って来るような感情はない。自伝 的小説や自伝的随筆とは違う。

 「流れ」という同著者の小説のそのタイトルの「流れ」はメタファーであり、その本の内容は筆者の体験をもと にした小説であり物語だ。一方、「崩れ」は、そのタイトルはメタファーではない。文字通り実際の山河の「崩れ」そのものであり、あくまでも「その実際」 を、「彼女の視点から」書いたものだ。もちろん文学者ということは言えるが、本人も卑下しながら書かれているように、地質学者といったような専門枠組を 持っておらず、その枠組みから「崩れ」をとらえることはできない。程度の差こそあれ、誰しもが持つ、ただ己の感性のみからの視点で書かれている。

 今回は、何かのタイミングが合ったのだろう。もちろん私も地質学のような枠組みのない者だが、自分の富士山の見方が、日本の山河への見方が、読後に変わっていることに気づいた。

「勉 強はできなくても、出掛けていって、目で見てくることは、まだしも私にできることであるし、そしてもし崩壊の感動をつかむことができ、その感動を言葉に 綴って、読んで下さる方に伝えることができたら、それでいいと思う。崩壊は、小さな規模だといわれるものでも、そこで動いたエネルギーは、並々でなく大き いのだし、そんな大きな力の動くところに、感動のない筈はない。その感動はある時はすさまじく、またある時は寂しく哀しいものかもしれない。が、崩壊とい うこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えることを私は願っている。」(p26)

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  大沢崩れはこちら側からは見えない。富士山のほぼ真西にあるので右側にあるはず。「頂上直下から、標高2200メートル付近まで、長さ2.1キロ、幅 500メートル、深さ150メートルにわたって絶えず岩屑が落下」しているという。この崩れは行く行くは頂上も貫き、富士の形は変貌していく。

 

③ 運命を踏んで立たせていくもの

 中学のとき既に、相談職の心理の仕事をすると定めていた。そのような仕事が実際にあると知っていたわけではないがあるものとの確信感があり、臨床 心理についても何も知らなかったが、自らを振り返って物語っていくことの力を信じていた、という気がする。幸田文の諸作品に嵌っていたのは、そんな中高の 頃だった。

 幸田文さんについて言っているのではなく、「おとうと」という小説の中の登場人物、姉のげん、についてとしてなら、少し言ってもいいだろうか。 

  5感や感性のとても強い子が、親からの愛が薄いまたは愛はあるにせよ、その子にとってはちぐはぐであると、その子の中の何かしらが壊れる。より正確には、ある程度、誰しもにある「壊れ」をうまく引き受けられないままになる、と言った方がいいかもしれない。それは必ずしも 親のせいではないのだけれど。けれど、もちろん気性もあるだろう、またその他の環境や時代的な背景もあって、げんのこころの壊れとしてある欠 落なり空隙は、とてもきれいな硬質な輪郭を持っていて、むしろその欠落故に、その欠落から生まれる物語には凛とした輝きがある。同著者の随筆「みそっか す」に、父、露伴の言葉として「 人には運命を踏んで立つ力があるものだ」と書かれている、まさにそのように。

  10代、臨床心理を志して夢見ていたその頃、このようなあり方を、自分の中の「臨床心理」(という言葉さえも知らなかったが)の理想モデルとしていたと思 う。欠落はあれ自らを物語ることにもよって凛と輝き立つような。当時の自分の状態を、げんのようなこころの状態に類するものとしてなぞらえもしていたし、 自分も、多くの他の場合も、きっとそのようにあれると思っていた。

 作品や表現の持つ力や魅力は多面的なものだ。だから、私が惹かれた幸田 文の諸作品の魅力は上記のようなことだけではない。けれど当時の私は、主に、そのような面に惹かれていたそのためだろう、大地に根をはり、環境によってひ ずんだり歪んだりもするもののそれでも宇宙に向かって立つ各地の巨木を見て歩いて書かれたエッセー「木」についてまでは読めたのだが、その後に書かれてい る、この「崩れ」を、当時の私は読めなかった。

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④ 嘘と美意識

「物語る」という行為には、また、ある感情を「この」生きている場や世界において生生しく感じていくということには、ある種の嘘が必要だ。

 同著者の「おとうと」という小説であれば、読み手側にも通底して迫ってくるのは、「切なさ」という強い感情だが、物語る、ということは、そのような感情が、読み手書き手に共通する場という世界で「生なもの」として生まれ、動きだす、ということでもある。

  このような物語の世界を成立させるためには、そこを語りながらも同時に、言ってはならないこと、言うことができなくなることができていく、と いうことでもある。読み手の側から言えば、この物語の世界に乗って「切なさ」という感情を生きるためには、読み手としてもそこは問わない、そこには蓋をす る、という領域ができていく、と言ってもいい。

 「おとうと」という小説では、同じ親を持つ環境で、同じこころの欠損を持つ者として、姉の げんと弟の碧郎は強い絆で結ばれているが、弟は不良仲間にも加わって身を持ち崩していき、欠損を壊れとして外に体現していく。そして病も発症し、姉のげん に看取られて逝く。以下は一つの例にすぎないけれど。

「同じようなこころの欠けを持ちながら、それを壊れのままに外に顕わしぶつかっていくこともし、誰か大切な人に(この場合は姉である本人のげんだが)こんなにも愛されて死んでいくのは、なぜ私(げん)ではないのか。」

  読み手側の私が、勝手にこのようなことを、もし感じたとしても、それには蓋をすることによって、また蓋をすることによってしか、この小説の「切なさ」とい う感情は生きられない。一方仮に、姉のげんに、そのように痛切な希望があったとしても、弟に向き合い共に生き「おとうと」を物語るということは、③で引用 したように、そのような自分の叶わぬ思いを、そのような自分の「運命を」、「踏んで」その上に「立つ」ということだ。これは私のあげた卑近な思いの例だ が、その他様々な思いも、踏んで生きる土台としていくことが、物語る、ということだ。

 私は最初に、ある種の嘘、という言い方をしたが、こ の世に生きる土台部分(の崩れや欠損)は、眺めもし、感じとって何かしらを思うことはあっても、ことさらには入り込めないであれるようになるというそのこ とは、健全な精神にあるとされる自我強度の顕われ方の一面でもある。ただしそのような自我機能は、精神機能の「発達」により、生物因と環境因が整えばその ように発現するものとされてきたものでもあるが、おそらくそのような形での発現はしていなくても、かなり意図的後天的な美意識のようなものによっても発現 させられる場合もあり、前者は定型発達、後者は非定型発達(の一つの型)、というふうにも言えると思うが、10代の頃の私には、その違いはわからなかっ た。いや、どこかで感じていたようにも思うが、著者のそのような美意識は、生活全般の中での細かな日常の一つ一つの対象にも向けられていて、あたかも物 語ってもいるかのように見えたその動きは、彼女の(美)意識の動き方の一つだっただけなのでは、と今は思えるが、当時は、闇はあってもそれを踏んで光へと 向かうような人の物語を重ねてイメージすることがしにくい、もはや物語ではない「崩れ」という表現作品への移行は、私にはついていけずわからなかったのだ ろう。小説でなく随筆も読んでいたはずだが、著者が、何かと向き合ったときそこで賦活する家族との関係への思い出などが書かれているところを、自分の中で ことさらに物語化させて読むことはしていても、もしかしたらそれよりもより広きにわたって本質的な、著者の、ただ対象(それが「崩れ」であっても)と向き 合う(美)意識などは、感じられていなかったのではないだろうか。

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⑤ 「発達スペクトラム」と「通常の差異」

 京大の研究センターで行われている発達障害への心理療法アプローチを研究するプロジェクトから、その成果として第3冊目の本が出ている。http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=1122  発達障害を対象としたプロジェクトであるが、第3冊目にいたり、テーマは、発達障害とは見立てられないものの、最近出逢うことの多くなってきた、発達に何 らかの脆弱性を抱えていると思われるケースという現象をどうとらえるか、となり、そこから「発達の非定型化」というとらえ方を提唱している本である。

 私は、緻密に知識を集めてそれをもとに論を組み立てることができず、自分の肌感覚の視点からでしかものが言えないのだが、全体的なところを私はこんなふうにとらえているという風にはざっくりと言えることもあるかもしれない。(通じやすいかどうかは置いておいて。)

 以前、ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女⑨ - Fuji to Higanzakuraで、自閉症スペクトラムについて、次のように書いたことがある。”もともとはそれぞれ別々なところからとらえて概念生成されてきた、自閉症アスペルガー症候群には、自閉症的要素が連続体(スペクトラム)としてあるととらえるモデルであって、私がその自閉症スペクトラムという概念を習ったときには、その連続体が健常者まで続くものという考えはそこには含まれていなかったと思うのだが、今、日本語のネット検索のレベルで見ると、自閉症スペクトラムという概念は、健常者と自閉症をわける境は客観的な何かとしてあるわけではない、というとらえ方にまでつなげられていることも多いようだ。だからそのとらえ方は、もともとの「自閉症スペクトラムの概念からすれば、広くとらえ過ぎ、ということではあるのだが、そのような広いとらえ方が、かなり多くの人にとっての主観的な実感覚になりつつあるのだろうとは言えるだろう。” 

  今回のこの本においては、もともと自閉症からアスペルガーまでの「自閉症スペクトラム」に当てはまらない人々を指し示す言葉として用いられ始めたという 「定型発達者」に対し、”このような「定型発達者」とは異なる発達の道筋を持つ者たち、すなわち、「非定型発達者」の発達もまた、単なる発達のバリエー ション、つまり、「通常の差異」であり、それ自体、障害や病理を意味するわけではない”という主張を含んだ「神経多様性運動」という海外でのムーブメント を紹介し、そうした論もあることなども一つの背景に、その他の論も緻密に重ねて、”今日において、心理療法家は、その臨床実践にあたっては、カナー型自閉 症からアスペルガー障害までに至る「自閉症スペクトラム」ではなく、。。。「定型発達」から「非定型発達」までに至る「発達スペクトラム」の中に自らのク ライエントをまずもって位置づける必要に迫られている”と述べられている。

 上記で、私がネット内で見かけていた健常者と自閉症をわける客観的な何かはないという最近の多くの人が主観的にもっているであろう感覚は、専門の臨床現場において「発達スペクトラム」と提唱されだしているようなもの、と言えるだろう。(正確には少し違うが。⑧で述べる。)カナー型自閉症ほどの極端な「非定型」性ではなない、間のグレーゾーン全体での位置づけの差異は、その考え方を支えうる背景の一つにもなっている神経多様性の考え方において言うならば、「通常の差異」ということになる。

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⑥ 回転木馬の盤上で共に遊ぶは

 以前の記事「赤を想う」「赤を想う」記事まとめ ①〜⑧まで - Fuji to Higanzakura

で、 昨今のケースにおいて、クライエントさん側に、クライエントさんの主体という概念を想定しつづけていくことが実は苦手だ、ということを書いた。そこには 「主体のありなし」という特性を、クライエントさん側のみの要素としてとらえるスタンスが実は苦手だ、という含みもあり、なぜならクライエントさんの呈す るそのような特性は、「発達」障害や、「発達」障害的(「発達」スペクトラム内の「発達」障害よりの側)という、一見クライエントさんという1個体が独立に 抱え持つ生物学的レベルでの要因をも思わせる「発達」という言葉でとらえてはいても、その特性はクライエントさんをとりまく世界(土地、歴史、社会、文 化、家族)といったものと独立ではなく、セラピーではそうした世界を体現することになるセラピストととも独立のものではないからだ。

 そう いう点で、今回出た⑤の本についても、まず帯を見て「発達に何らかの脆弱性を抱えたクライエント」というとらえ方に、胸がぎゅっとなるような思いを持った のだが、それはある意味で、「発達」という語の一般に持たれているようなイメージの強さとどう取り組んでいいのかを、ずっと負け戦のような思いで模索して いる中で、「発達に何らかの脆弱性を抱えたクライエント」というこのような表現も、クライエントさんの個体のみに病理を固着させてしまいやすい表現なので はないかと、早合点してしまったからだ。

 しかし、この本では、精神病理の時代的変遷をも丁寧にたどることで、学術的に淡々と、しかし一般 感覚からすれば鳥肌ものにドラスティックに「発達」という概念のとらえ直しが行われており、「発達」という語の一般イメージとは異なって、そこでは、「発 達」のあり方というものも、文化や時代の変遷と独立ではありえないものなのだ、と規定される。

 私たちは、同時代という同じメリーゴーラン ドの円盤上に共にのっているために、「発達」障害にしろ、「発達」になんらかの脆弱性があり発達障害的に見える何かにしろ、それが「クライエントさん個人 が持つ」病理に一見見えやすくなっているのだ、ということにおそらくもっと意識的になっていい、ということを改めて感じさせてくれる論だった。

  そこに意識的になるというのは、治療者がメリーゴーランドから降りることではないしそれはできないことだ。ただ、その同じ円盤上にいるのだ、ということを 知っていて意識的であれれば、それぞれの発達のあり方の違いは「通常の差異」としてとらえてお互いに関わり合える、という考え方になりえるのではないか。

  そしてそれは、普通の感覚的には、実はとても「反」自然な感覚だ。発達障害または発達障害的であることに本人や周囲が困惑しているというのは、本人にしろ 周囲にしろ「この時代(メリーゴーランド)の病理」の害を自分は大きく被っている、という感じ方、つまり困っているのは自分のせいではない、という感じ方 だが、それは自分の足許のメリーゴーランドの盤に根ざした自然でもっともな感じ方だ。携わっていく代表病理が発達障害の時代になって、クライエントさん (やそもそも一般的な人も)は、自分を振り返ることをしなくなった、ということが言われてきたが、自らを非発達障害的と感じている者にとっては、自分の困 惑や不快は発達障害的な人たちのせいであり、発達障害的な人にしてみれば、自分の困惑は時代のせいであり自分のまわりの環境や理解のない他者のせいだ。今や、自らは 非発達障害者とみなして発達障害的な人の特性を断じるあり方自体も発達障害的あり方でもあるので、もはや一律、自分の困惑や不快や生きにくさは、時代のせ いであり自分のまわりの環境や他者のせい、と言っていい。そのような感じ方が、この時代においての「自然な」感じ方だ。確かに、幸せに生きていく上でそれ は損か得か、その感じ方には愛情があるのかないのか、とは別のものだが、自分にとっての自然な感覚であり、自身の状況の中で論理的に考えたら「まちがって いる」ということにもそれは決してならない。もしその感じ方を「まちがっている」と言われているように感じたら、自分にそう言っているように感じさせた人 こそが、他者(自分)とコミュニケーションもとれない、愛情のない人、と断じることさえできるので、どこにも破綻のない完全な感じ方と言 えるだろう。

  今の時代にあっては、このような感じ方こそが、この時代に広く普遍的な自然な流れだ、ということを前提としてみれば、自分の感じ方に得られるはずの理解を示されず場を共有できそうにない他者がもしいたならば、自分以外のそういう他者たちは、(自分にとっての)この時代の論理で成立しているはずの世界の中にはいないはず、いるべきでないはずの人なのに、という感じ方までもが、自然な流れということになるだろう。(実際には、そのようなもっともで自然な感じ方をしていればしているほど、そうした他者と出逢ってしまう、ということになるのが苦しく切なく面白いところで、この時代の魂の動き、のようなものとして感じているけれど。)

  いないはずの人、この状況でいるべきではない人、そうあるべきではない人、と感じられる人に出逢ってしまったとき、その感じ方自体はとても自然なものであ り、考え方としてのそのプロセスにはおそらく間違いもない。それなのに、目の前にそういう人が事実としている、というその事実を受け入れると き「自明自然に広く普遍的な論理体系」と感じ信じてきたことを、「自分自身の」論理体系や価値観、ということとして( )に入れ直さなければいけない。こ れは本当に、どれほどの反自然的感覚の転回を要することなのか、と時に茫然としたりする。ちなみに心理学的に言えば、そこで、相手が間違っているから相手を切り捨てていい(または自分が引き蘢る意外に仕様がない)、というのではなく、「自分は(自分の気持ちや 大事にしたいところと相容れない)この人たちとはいたくない」という「自身の」「感覚や気持ち」として、そのような思いを持てるのであれば、否定的に見える思いで あっても、「自分の」思いとしてそのように思えることは望ましいことであり、またそのような自分の思いにも従って生きられることを(一般見地的には否定的に見えるような生き方であってさえ)私たちは願い支えようとするものでもある。

 またもし、そんな相手とも、この人といたくない、ではなく、対話もし相手を知りたいともなったら、相手が病的なのでもなく 自分が病的なのでもなく、相手と自分との断絶を、彼我の違いとして「通常の差異」 としてとらえなおしていくことが必要になる。この場合、感覚的には反自然であるだけに、双方に必要な共通土台の知的共有が必要という点からのアプローチな のが、臨床心理からの出発点ではないが西條剛央氏が体系化してきた構造構成主義と広い分野におけるその応用実践なのではないか、ということなども思ったり している。心理療法の場面では、実際には、セラピストークライエント間において、必要な共通土台の知的共有というのは難しい。ただ、子どもの場合は、目の 前に変な人が「いる」という「事実」を受け入れてくれやすかったりする。⑤の京大本、子どもの事例ものっています。大人の場合も、同 様と言えば同様で、自分自身をその場に晒して、異質なものに出逢っていただく、ようなことをしているのだと思う。

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メリーゴーランドもありそうだけれど。ここのジェットコースター、富士型になっていたとは知らなかった。

 

⑦「自身の」「発達のあり方」を

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 この本では、 また、”現代の日本の普通の人たち、特に若い世代の人たちは、発達障害的なライフスタイルを選択する傾向があるように思える。 。。 これは彼ら のライフスタイルであり、精神病理でも心理学的な問題でもない。 。。現代の日本においては、巷にいる普通の人たちも患者たちもともに、神経症的であるこ とではなく、発達障害的であることを選ぶようになった’’、とも述べられている。

 発達障害的な現象の中には、このように精神病理でも心 理 学的な問題でもないあり方もあるというその点からも、私は、クライエントさんに、発達障害的であるという「病理」を帰させるあり方にずっとためらいがあっ たのだが、今回のこの本を読んで、(決してこの本の意図ではないだろうが)こうした自分の悩みに、悩むだけの土台があることを感じることもできた。

  そうしてふわりと少し楽になった分のエネルギーで、改めて、発達障害的であることに葛藤を持つことなく精神病理でも心理学的な問題でもなしにそれを生きる こともできるような”「発達障害」が今日の「モード」”ともなっている今の世の中にあって、それでもなんらかの困難や生きにくさ、どうにかな らないかな、という感じもあって心理療法につながるまでの付置を得ている人というのはなんなのだろう、という、どこか当たり前のことを思った。

 ” 非定型発達の定型化ー「モード」としての「発達障害」ー”というこの論の視点には、非定型発達型として「発達障害的」であることが、もはや「この時代の発 達のあり方」ともなってい る、という見方が含まれる。こうした時代の中にあるにもかかわらず、発達障害的な様相を問題として、心理療法とつながるということは、どういうことなの か。それは、今や時代の中にがっちりと組み込まれてしまっている、この時代のカリカチュアにもなっているような「発達」のあり方(発達障害的なあり方)を 生きるのではなく、「自分自身の」「発達のあり方」を見い出し遂げて行くという課題を負った人たちと言えるのではないだろうか。

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 「沈没しそうな富士山」というイメージ画を書いた子の事例も本にはのっていた。ほんとにそうなんだよ。大丈夫。すごいね。

 

⑧ 『私の発達』とは。その人の中で「私」という主体概念が発達すること、とするのを保留にし、「自身の」「発達のあり方」を見いだし遂げること、と考える。

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  もちろん心理療法にかかわらずとも、表現を通して(生きることを通して)「自分自身の」「発達のありかた」を見いだしていく人たちも沢山いるだろう。おそ らく今改めて魅力的だ、と見直されるような人たちは、そういう視点からとらえなおすこともできるのではないだろうか。伊豆の長八さん然り伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦ - Fuji to Higanzakura山口晃氏が「ヘンな日本美術史」の中で取り上げている河鍋暁斎等の画家さん然り。今「崩れ」を読みながら、幸田文さんも。

 ところで⑤の本でとりあげている「発達スペクトラム」という考えは、定型発達と非定型発達とを連続させている軸であるが、定型発達だから健常で、非定型発達だから病理、というものではない。(⑤の私の説明だとそのようなニュアンスにとれると思うがそうではない。)確かに非定型発達の極はカナー型自閉症と言えると思うが、定型発達側の中には、過去に多かった神経症はもちろんだが、ある意味では統合失調症も入るということか、というふうにも私には読めた。

 発達障害以前の、定型発達を前提とした病理では、物語るという表現行為が治癒力としてもとても大きな意味を持っていた。統合失調症の場合は、表現象徴の力が強すぎて物語ってもらうと、精神や肉体が物理的に耐えられないことも多いとされているが。その領域ぎりぎりをかすめていたり行きつ戻りつするといったティピカルなアーティスト像をイメージするとわかりやすいかもしれない。)発 達障害の時代になって、自分を振り返っての「物語りになっていかない」という現象に向き合うことになったのだが、わたしたちは、物語りを大切なものとして きた心理療法アイデンティティーも賭けて『「物語にならない」という「物語」』を、発達障害という現象に充ててきた面も あるかもしれない。京大の、発達障害への心理療法的アプローチという研究プロジェクトから出ている先行の本2冊http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11222 http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11226  では、発達障害の特徴を、自分を振り返って物語れるような「主体」を想定できない「主体のなさ」ととらえる視点が前面に出されており、そこから「主体の誕生」を目指す心理療法が提唱されてきた。自分を賭けて試行錯誤し ながら行われている心理療法の現場実践や事例提示、またその現場の振り返りから「主体のなさ」「主体の誕生」という考察モデルを経て、そのことによってま た発達障害心理療法が支えられてきたことには言い尽くせないリスペクトを持っている。それだけに、「主体のなさ」→「主体の誕生」というとらえ方に、ま た今回の本でも「主体の脆弱性」→「主体の強化」というとらえ方がやはり読み取れるが、そのようなとらえ方に多くの妥当性を感じつつ、過去の「赤を想 う」記事でも少し触れたが、主体という言葉に縛られてその妥当性を理解しようとするほどに苦しくなる自分を責めてもきた。

 今それについて は、⑦で書いたように、『時代や環境と結びついてある今日的な「発達のあり方」をただモードとして漫然と生きるのでなく、そこがその人の「発達の問題」であるかのように顕われ自身に引き受けることになった者が、今日的なあり方を超えた「自身の」発達のあり方を見いだし遂げ ていく』、というふうに私はとらえなおしている。(『』内の「発達」部分を「表現」と置き換えることもできる。「主体」に置き換えることは今のところ自 分はできないわけだが、あえてしなくても、しないままでもいけるのではないかな、と思い出している。)

 そう考えると、心理療法という場に限らずとも、自身の発 達(or 自身の表現)を見いだし続けていったと思える人や作品に気づくとき、鑑賞側もまた自分自身の発達や表現に対しての何らかの視座を得たりするのではないだろ うか。こう書くと、ちょっと固すぎるけれど。幸田文「崩れ」については、今回、ただふっと「ああ、そうだった」というような、快や緩みを、もたらしてくれたようなものだから。言葉で自身の何かを表現するにあたっては、物語という形式圧力がおそらくまだ強かったであろう時代に、既に山河の「崩れ」という現実そのものに 惹かれ、見にも行き、ただそれを前にして自身が感じることをただ書いた。崩れを見たときの自分の情感は書かれているが、その情感は著者の「私の情感」なの であって、目の前の「崩れ」が、何か普遍性のある象徴になってしまうことはない。(②で引用したような、「日本の崩壊という宿命」というような表現を使っていてさえ、 それは「崩れ」が象徴しているものではなく、「崩れ」「崩れ」のままに見せている大きなエネルギーへの感動表現としての彼女の情感であるように私には思 える。)

 そんな「崩れ」にちゃんと出逢えた気になれるのに私は30年かかったけれど。読んで、今見る機会の多い富士山への見方がただ変わる。30年かかったことさえ含めてそのことを、ただ幸せだと思う。

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⑨ ただ母子的なまなざしの中でだけ

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  随筆「しつけ帖」(幸田文)の、著者の娘さんである青木玉さんによる後書きが印象的だった。母(幸田文)の子どもの頃についての随筆は、子ども時代の母が抱えていた 思いに、胸がいっぱいになり涙がこぼれそうになるという。母は分筆を業とするようになっても、今ひとつ思い通りではないらしく、ものを書くのは好まないよ うだったこと。仕事をしあげる度に体調をくずすこともよくあったこと。生涯を通して、大変だったなと思うことの連続で、自身の選択の及ばないことが殆ど だったこと。避け難い苦労の数々に母はよくもめげずに切り抜けたが、娘としては、どうも割りに合わない気がして残念だったこと。ただ晩年、仕事を通して世 界を拡げ、好きな樹木の見て歩きをし、山河の崩れの現場を訪ねることなどにより、多くの方々との交換があったことは仕合わせだったろうと心緩む、と書かれ ていた。

 自分自身の発達のあり方を、自ら求めようとするとき、定型発達者が示す物語的表現、非定型発達者が示す非物語的(ではあるもののやはり)表現、というよう な括りはもはやおそらくナンセンスになるのかもしれず、ある程度本人の意識の働かせ方次第、また表現の鍛え方次第で、どちらの表現も試みられるのだろうし、どちらの表現にもある程度 柔らかに反応できたりするようになるのだろうと思い出している。それでも、その上で、自分の発達のあり方ができて一致して、仕合わせを感じられる自分の生き方や表現はどこら辺かを、もし生きている間に体現し得られたならば、心緩む。その心緩むような領域は、生きている間には得られない場合もありうる、ということをずっと感じ続けていくような作業かもしれないけれど。それでも怖がらず自身の発達のあり方を求める。そ うしていくうちに、他者から見てさえ幸せそうな状態にも、いつかどこかで出逢えるかもしれない。保証のないそのプロセスを引き受けられるか。

 そのよう なプロセスの順番は、今の時代、もし引き受けることになったなら、そういうことになっている、としか言えない。ただそれは、今は唯一、母子的な暖かいまなざしから見たときにだけ、プロセスの 順番が違うのだ。生まれて来た幸せ感を土台にして発達していくのではない順番は。そのことを、玉さんは、涙が出そうになる、とか、娘としては、晩年の 「木」と「崩れ」まで母の人生は割に合わない気がして心残る思いで見て来た、と言っているのだろう。

 けれど、そのプロセスの逆順を自身のプロセス順として引き受ける者、引き受けるしかない者がいる。

 そういう存在に気づいたとき、程度の差こそあれ、得てして気づいた者自身もそうなっていたりするのだけれど。そうあれかしという希望かもしれないけれど。

 

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落葉前もみじの上に雪積もり

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残雪上にもみじ降る