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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

これまでのHiganzakura視点記事

Higanzakuraができるまで

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以下これまでのHiganzakura視点記事

発達障害という現象の「とらえ方」についての思いがベースにあるが、「発達障害」とは独立のこととしても言えることをつづっていきたい。

 

#「織物•表現」記事まとめ

「織物•表現」記事まとめ (1)〜(5)まで - Fuji to Higanzakura

セラピストの現場感覚から。セラピスト個人のセンスの問題に帰させない試み、とりあえず1歩。


# 「WG展」記事まとめ

「WG展」記事まとめ ①〜⑤まで - Fuji to Higanzakura

「ゴッホとゴーギャン展」から。「崩れ」記事で感じたことの向こう側へ、もしくは、その手前に、立ち返る。

 

#「崩れ」記事まとめ

「崩れ」記事まとめ①〜⑨まで - Fuji to Higanzakura

幸田文が山河の崩壊地を訪れてつづった作品「崩れ」と、京大のプロジェクト「発達

障害の心理療法的アプローチ」からの3冊目本から。

キー視点は、

* 異質な他者と出逢うことを通して、自身の発達(or表現)を見いだし引き受け、きる(実践する)こと

* 定型発達的な物語的(象徴的)な表現 と 非定型発達的な非物語的(「私の」とえ方)な表現

 

#「赤を想う」記事まとめ

「赤を想う」記事まとめ ①〜⑧まで - Fuji to Higanzakura

昨今のケースで往々にして生じる、また必要でもある、セラピスト−クライエントが生身の裸同士(比喩表現です)として出逢うということ。しかしそのことす ら、セラピストの「ロール」(役割)になってしまう可能性からわたしたちは逃れられない。それは矛盾を含む苦しいことだ。その矛盾をどのように生きたらい いのか。日本に箱庭療法を導入した、故河合隼雄氏は、箱庭療 法の箱庭を「治療者と被治療者との人間関係を母体として生み出された一つの表現」である、と言っていた。箱庭に限らず、セラピーは、治療者ー被治療者という関係から生 み出されるそうした表現が普遍的な感動を伴う表現ともなっていくような場の一つの付置でありたい。

おまけ小記事

「赤を想う」追記 「クラーナハ展」記事まとめ①〜③まで - Fuji to Higanzakura

 

 #「伊豆の長八美術館」記事まとめ

すっかり気に入った松崎町。お魚おいしいし。

伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦ - Fuji to Higanzakura

おまけ写真 

松崎町再訪① - Fuji to Higanzakura

松崎町再訪② - Fuji to Higanzakura 

 

#「イーストウッド世界に、ある視点から入ってみた。。。」記事まとめ

イーストウッド世界に、ある視点から入ってみた。。。記事まとめ①〜③ - Fuji to Higanzakura

使っている写真は、ニンファの庭園。

イタリア観光ブログ-ニンファの庭園 ( Il Giardino di Ninfa )

 

# 「ラ•トラヴィアーター道を踏み外した女ー」記事まとめ

半ば、料理記録ブログになってしまったのは、ここから。

ラ•トラヴィアータ記事一覧 ー「料理簡易記録」と「Higanzakura」ができるまで- - Fuji

to Higanzakura

 

# オマージュ記事まとめ

オマージュ記事①から⑧まで - Fuji to Higanzakura

ある作家さんのことを思って。

 

#「周産期心理臨床セミナー」記事まとめ

自分の発達障害を巡る思いや問題意識は、自分にとっての心理臨床の蘇生の試みのよu

なこと。一方、周産期心理臨床は、新しく生まれた場だが、今、心理臨床がぴちぴちと生きている。

周産期心理臨床セミナー記事①から⑧まで - Fuji to Higanzakura