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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

織物•表現(1)

Higanzakura視点

 ふわりとセンスのいいセラピストさんというのが草の根的に沢山いるのであったらいい。実際そうなのだろう。勉強会などでは事例を検討したりするが、最近、セラピーの感じを織物に例えるイメージを聞いた。セラピーをしていて織物のイメージが浮かぶと。

 「主体」や「人格」といったとらえ方、それはある意味で自身の心理学アイデンティティーの土台めいたとらえ方だが、これまでのHiganzakura視点でも書いて来たが、私はそれらを一度否定もし、必ずしも心理学枠内ではないこのような場も借りて、Higanzakura視点記事を自ら書いてみる事にもより、ようやく少し「表現」というとらえ方に腰がすわってきた気もするが。一方で、そんなぐるぐるはせず、セラピーをしていておそらく必要だからというただそれだけの感覚で、そこら辺を自然な流れでふわっと既にやっているセラピストさんたちがいる。セラピー実践をつづけている、ということの根にある感覚なのかもしれない。そのような大事な感覚は、今のところ多分現場感覚であって、「学」の言葉としては浮上していない何かであることが多いのが残念なのだけれど。私なんぞの頭でっかちはおかげさまでこうして遠回りになるが、でも私に負けず劣らずに頭でっかちなクライエントさんというのもいるし、多くは実際には心理療法なんて受けずに耳学なり本なりで様子を知る(つもりになるしかない)わけだから、社会のマス的の流れは基本的には私のように頭でっかちになるわけで、セラピーに関わる私自身がそれで行き詰まって、底なしの底を見続けて自分なりに言葉?(通じやすいものではないにせよ)にしてつづっていることは、頭でっかちさんへのセーフティーネットに少しはなったりはしないだろうか、と思うことにもしてみたり。

 話しはもどって、織物イメージというのも、つまりある「表現」の場として、セラピーをとらえているということだと私は思った。

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