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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

崩れ⑤

Higanzakura視点

 京大の研究センターで行われている発達障害への心理療法アプローチを研究するプロジェクトから、その成果として第3冊目の本が出ている。http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=1122 発達障害を対象としたプロジェクトであるが、第3冊目にいたり、テーマは、発達障害とは見立てられないものの、最近出逢うことの多くなってきた、発達に何らかの脆弱性を抱えていると思われるケースという現象をどうとらえるか、となり、そこから「発達の非定型化」というとらえ方を提唱している本である。

 私は、緻密に知識を集めてそれをもとに論を組み立てることができず、自分の肌感覚の視点からでしかものが言えないのだが、全体的なところを私はこんなふうにとらえているという風にはざっくりと言えることもあるかもしれない。(通じやすいかどうかは置いておいて。)

 以前、ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女⑨ - Fuji to Higanzakuraで、自閉症スペクトラムについて、次のように書いたことがある。”もともとはそれぞれ別々なところからとらえて概念生成されてきた、自閉症アスペルガー症候群には、自閉症的要素が連続体(スペクトラム)としてあるととらえるモデルであって、私がその自閉症スペクトラムという概念を習ったときには、その連続体が健常者まで続くものという考えはそこには含まれていなかったと思うのだが、今、日本語のネット検索のレベルで見ると、自閉症スペクトラムという概念は、健常者と自閉症をわける境は客観的な何かとしてあるわけではない、というとらえ方にまでつなげられていることも多いようだ。だからそのとらえ方は、もともとの「自閉症スペクトラム」の概念からすれば、広くとらえ過ぎ、ということではあるのだが、そのような広いとらえ方が、かなり多くの人にとっての主観的な実感覚になりつつあるのだろうとは言えるだろう。” 

 今回のこの本においては、もともと自閉症からアスペルガーまでの「自閉症スペクトラム」に当てはまらない人々を指し示す言葉として用いられ始めたという「定型発達者」に対し、”このような「定型発達者」とは異なる発達の道筋を持つ者たち、すなわち、「非定型発達者」の発達もまた、単なる発達のバリエーション、つまり、「通常の差異」であり、それ自体、障害や病理を意味するわけではない”という主張を含んだ「神経多様性運動」という海外でのムーブメントを紹介し、そうした論もあることなども一つの背景に、その他の論も緻密に重ねて、”今日において、心理療法家は、その臨床実践にあたっては、カナー型自閉症からアスペルガー障害までに至る「自閉症スペクトラム」ではなく、。。。「定型発達」から「非定型発達」までに至る「発達スペクトラム」の中に自らのクライエントをまずもって位置づける必要に迫られている”と述べられている。

 上記で、私がネット内で見かけていた健常者と自閉症をわける客観的な何かはないという最近の多くの人が主観的にもっているであろう感覚は、専門の臨床現場において「発達スペクトラム」と提唱されだしているようなもの、と言えるだろう。(正確には少し違うが。⑧で述べる。)カナー型自閉症ほどの極端な「非定型」性ではなない、間のグレーゾーン全体での位置づけの差異は、その考え方を支えうる背景の一つにもなっている神経多様性の考え方において言うならば、「通常の差異」ということになる。

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