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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

崩れ②

Higanzakura視点

 「崩れ」は、70代を過ぎた著者が、有名な山河の崩壊地である大谷崩れを見たことが きっかけで、そのような全国各地の崩壊地−崩れーを見て回って書かれたものだ。富士山の大沢崩れにも訪れて書いていることから、富士山コーナーの本の一つ に収まっていたようだ。ルポルタ−ジュと言ってもいいかもしれない。著者が抱いた、その光景への情感はあるが、自身へと戻って来るような感情はない。自伝的小説や自伝的随筆とは違う。

 「流れ」という同著書の小説のそのタイトルの「流れ」はメタファーであり、その本の内容は筆者の体験をもとにした小説であり物語だ。一方、「崩れ」は、そのタイトルはメタファーではない。文字通り実際の山河の「崩れ」そのものであり、あくまでも「その実際」を、「彼女の視点から」書いたものだ。もちろん文学者ということは言えるが、本人も卑下しながら書かれているように、地質学者といったような専門枠組を持っておらず、その枠組みから「崩れ」をとらえることはできない。程度の差こそあれ、誰しもが持つ、ただ己の感性のみからの視点で書かれている。

 今回は、何かのタイミングが合ったのだろう。もちろん私も地質学のような枠組みのない者だが、自分の富士山の見方が、日本の山河への見方が、読後に変わっていることに気づいた。

「勉強はできなくても、出掛けていって、目で見てくることは、まだしも私にできることであるし、そしてもし崩壊の感動をつかむことができ、その感動を言葉に綴って、読んで下さる方に伝えることができたら、それでいいと思う。崩壊は、小さな規模だといわれるものでも、そこで動いたエネルギーは、並々でなく大きいのだし、そんな大きな力の動くところに、感動のない筈はない。その感動はある時はすさまじく、またある時は寂しく哀しいものかもしれない。が、崩壊というこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えることを私は願っている。」(p26)

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 大沢崩れはこちら側からは見えない。富士山のほぼ真西にあるので右側にあるはず。「頂上直下から、標高2200メートル付近まで、長さ2.1キロ、幅500メートル、深さ150メートルにわたって絶えず岩屑が落下」しているという。この崩れは行く行くは頂上も貫き、富士の形は変貌していく。