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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

赤を想う⑤

Higanzakura視点

 ④で書いたようなことは、私から見た、心理療法における「主体の誕生モデル」的な展開とはこういうことだ、という話しだが、私自身は、以前にもところどころで書いているように、そういう展開への心身耐性があまり強くない。強くないといっても、心理療法的展開というのは、セラピストにとっても意図を超えて動くものなので、やっていたりはするけれど。

 セラピストにとってもとらえきれていないケース展開を振り返りつづけるなどの作業も通して、より集合的な仮説モデルができていく。例えば、日本の、発達障害的な要素のあるケースではこういう展開になっていくなぁという幾つものケースの振り返りから、「境界感」からの「主体」という、西洋近代的な自身の中心性に根ざすような主体感覚とは異なる「主体」を想定するなどのモデルもできてくると、それは実際のケース展開とも一致して、なるほど、ということにもなり、それによって、主体誕生モデル展開にすすんでいくような自分の心理療法のあり方に対し、セラピスト側に改めてまた自信のようなものが強化される。そういう場合はもちろんあるわけだが、ただ私の場合はその路線だと、自信の強化にはならず反対にすりへっていってしまう。どうしてかはだいぶ悩んで、その理由についての理屈も色々自分の中に浮上させもしてきたが、いずれにせよこうしたケースにも出逢うならば、自分の場合どうすれば、すりへらずにやっていけるか。

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 赤の前へももどってみたり?