読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

赤を想う③

Higanzakura視点

 私たちの分野では、「主体」という発想を手放すことがなかなかできない。表現してくれたこのような赤を、「クライエントの」「主体」の象徴としてとらえてしまう。そのことから私たちは自由になれない。

 わかりにくいことを言っている気がする。つまり、セラピーにおいて、クライエントさんは、異質な何者かとして自身に向き合ってきたセラピストに「出逢」ったことで他者との「境界」を体験し、そこで生み落とすかのように示した「一つの形を持った赤」を、私たちは、クライエントさんの「主体」として、クライエントさんの「主体」がそこに生まれたかのように、とらえがちだ。「私たちセラピストとの」間や断絶が、結晶化されたようなものだけれど、そこから「私たち(セラピスト)」は抜け落ちて、それを「クライエントさんの」主体の象徴として、私たちはとらえているかもしれない。そこから、私たちは自由にはなれない。

 ただ、何かが割り切れずに余り、それが苦しい。または、割り切られすぎて、苦しい。

f:id:higanzakura109:20161027170853j:plain