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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

赤を想う①

Higanzakura視点

 学会に出て事例を聞いた。印象的な事例だった。

 難しいのにうまくいったケースだった、とか、勉強になった、とかとは違う。どうしてその事例がそんなに印象的だったのかについて、そういうところで考えようとすると逃げていってしまう。正当化させてくれない。でも本来、「感じる」とはそういうことだ。主観的に、「自分にとっての」心理療法や心理臨床はどういうものなのか、を感じ考えることから逃げられなくなるような事例。

 理想のセラピスト像というのがあるとすれば、どんなケースを聞いても、どんなクライエントを前にしても、それは常に個別的でそれぞれではあるけれど、この人だけ、このケースについてだけことさらに、ということにはならない意味で、同様の思いをそれぞれにかけられる、ということも入るだろうことを思うと、とりわけあるケースについて印象的に心に残ってしまうと感じるような気持ちの動きは、理想的セラピスト像からは外れている。

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