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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦

Higanzakura視点

① 建物 

 

 家人にひきずられて、伊豆の長八美術館に行く。なんでもかなり以前、テレビドキュメンタリーで、この美術館を設計した有名な設計士さんと、全国 から集まった腕利きの左官職人さんとでこの美術館を作っているときの、ガチなぶつかりっぷりが放映されていて、以来印象にに残っていて来たかったのだとか。

 フランスのロレーヌ地方の中心地メスにある、現代美術館分館http://artscape.jp/mmm/contents/c_00132.htmlに も引きずられて行ったことがあるが、それについても、施行を引き受けた現地の工務店職人さんら(現地ゼネコンというべきか)は、設計図を自分たちの技術で やれる形に改変してつくっていってしまうので、その建物を設計したやはり有名な日本人設計士さんは、現場を見ては「設計図のようにやってください」という 交渉の闘いをひたすらしながら作り上げたんだ、とかいう家人の蘊蓄つきだったから、世の中ではそういうことがわりと多いのか、家人の脳が好みとしてそうい うエピソードを拾ってくるのか。

 建物外観全体を見て何か特別なことを感じられる感性が私にはないが(建築物音痴。実物を見た後で写真を見 ても再認できない)、長八美術館の館内で、階段を上っているときにふと脇を見上げるように視線をあげたら、階段脇の真っ白な漆喰壁の中から、やや肉厚なス テンレス板が刃物のように長く斜めにずずーっと続いて生えており、自分の感覚が、その金属刃の斜め上に伸びる動きと、真っ白漆喰壁からにょっと生え出して いる動きという二方向の動きになって一瞬感覚がうにょんとなった。見ている物自体にエネルギーは感じるけれど、「階段の手すり」という「意味」が抜 け落ちた世界に入っていたらしいと気づいた瞬間に、家人から聞いていたエピソードとリンクして、うひゃひゃと笑いがこみ上げる。連れがいると、相手に理解 不能でも、こういう時「今ね、こんなんでね」と話せるから、見かけ上怪しい人にならずにすんで便利。

 我にかえれば普通の階段手すり。その 手すりを巡って、設計士さんと左官職人さんとでなにか攻防があったろうとも思えない普通の。どちらかというとおそらく1階で長八作品を少し見た後だったか らと考えるのが妥当だろう。建物については特に感性のヒダがツルツルなのだが、ツルツルなりに建物と長八作品とが自分なりに共鳴したらしい体験、というこ とにする。

 帰ってきてから、長八さんの鏝絵(こてえ)が気になってネット探索していてこちらのブログに出逢う。http://makimino.jugem.jp/?month=201304写真も豊富で解説も丁寧でとてもとてもうれしい。4月20日、21日あたりが長八美術館について。左官職人さんと建築士さんとのいきさつものっていた。

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 伊豆の海

 

② 脈々とつないでくれたものに

 

 美術館のある松崎町。なまこ壁の建物が多く残っていると言う。なまこ壁って確か、グレーの壁の地に、盛り上がった白い格子模様がくっついている、よく土蔵とかに使われてるやつだよね、くらいの記憶だったが、あーほんとだ、なまこ壁が沢山

  宿泊した夜中から朝方にかけて台風のような強風で驚く。でも窓から見えた、地元の定食屋さんの裏手に積んである食材用発砲スチロール箱の各山毎に、大きな サイズの洗剤ボトルにおそらく水が入れてある重しがそれぞれのっているのを見て、強い風に慣れている土地かな、と思ったが、やはりhttp://makimino.jugem.jp/?month=201304こちらのブログさんの4月25日の記事に、松崎町のなまこ壁の、壁の上方までそれで覆われているというその独自特徴は、強い風が吹くところ故の火災予防のため、とあって納得する。

  入江長八さんは、この地元で、子どものときにこういったなまこ壁をつくる地元の左官職人に弟子入りし、手先が器用だと認められて、江戸に出て狩野派の絵を 習うことになり、彫刻技術も当時の彫刻職人さんたちを見ながら学習してしまい、本来きれいに平らにならすことをもってして高技術とされた左官職だが、そこ に立体化する技術を持ち込んで、鏝絵(こてえ)というジャンルを創った人ということで、表面的な把握の仕方としてはこんな感じでいいのかな。

  日本美術史的には長く忘れられていたようだけれど、それでも左官「職人」という工芸界の中にあっては長八は神様的扱いであり、また職人枠を越えたところで も、彼の「作品」に普遍的なものがあると感じた自分の感性を信じてこつこつと作品を集め丁寧な目録をつくってきた人などがいて、そうして美術館設立にも既 に随分前に至っており、私が出逢うのはこんな後になってからだが、それでも私などといった本来縁が薄そうなレベルの人までがこうして出逢って何かをグラグ ラしながら感じてそこにいるという流れの中に、日本人(個人的には日本人というより「人」と思っているが)に脈々と続いてあるような何かを想定できそうに 思えてきてうれしい。

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松崎町ぶらぶらしてるとある足湯。ちゃぷん。

 

③ 捻れをほどくもの

 

 漆喰を盛り上げて、壁面にレリ—フで、絵というか図像を浮かび上がらせる鏝絵だが、土蔵壁や、土蔵窓や土蔵扉の内側に描かれているものは、生活の 中に組み入れられている装飾ということになり、長八さんのそれらの多くは活動の本拠地だった江戸東京にあったとのことで、火災等で殆ど残っておらず、現存 する長八作品としては、この美術館にあるような、室内用の「絵」としてのものが結果として多くなっているという。だから、職人としての左官工とその延長に ある生活の中の建物に組み入れられている漆喰装飾という職人軸と、生活の中の意味とは独立した、今で言うところのアート的な「絵」として鏝絵を実践してい る軸と、どちらが彼のメインの軸かはわからない。けれど同じ一人の人がつくっているのだから、そこを分けるのは、他人とか、自身であってさえ時代的なもの に制約を受けた言語認識だったりもする。とにかく少なくとも美術館内の鏝絵を前にすると、漆喰と鏝を用いて立体感を出した絵、ととらえるだけでは収まりき らない、なんなのこのモダン感は、みたいなざわざわが湧いてきて、江戸から跨いで西洋文化がどっと流れこんだ明治期を江戸東京で活躍していたということ が、肌で感じられてくる。3D眼鏡対応の2次元画像を前に3D眼鏡をかけるような操作を、自分の脳がしているような気がしてくる絵。それだけではないけれ ど。見ながらずっと「おかしい、なんかおかしいよ」とつぶやいていしまう。

 家人から、「『よくわからないけどなんかすごい』とあなたは 思っていて、最近の『やばい』という表現とどうも同じらしいことは自分にはわかるが、他の人が聞いたらどう聞こえるかわからないしあまり品もないのでおや めなさい」と諌められ、素直に「はい」と思ったが、長八作品がお好きだとわかる女性職員さんが虫眼鏡を渡してくれて色々教えてくださるときに、「この 方。。。おかしい。。ですよね」と口をすべらせてしまったら、ふふ、と微笑まれて「ええ、実は私も最初、おかしいと思ったんです」と寛大に受け止めてくだ さって、どっと落ち着く。

 私が感じた何かは、大大風呂敷を広げれば日本が(ひいては世界も)抱えている、そして卑屈になれば私自身が抱え ている「捻れ」を、貫くかほどくかできそうかもと思える蠢きみたいなものだ。私は、その「捻れ」部分を、やはり貫くかほどくかすることになりそうなもの (または強化してしまうかもしれないもの)として、「発達障害」や「オタク」という現象も入れているが、できれば強化するよりほどくことを望むのなら、多元的であった方が良い。「おかしい」という表現での感じ方のままだと、長八さんの世界を、自分は「オタク的」というところに入れてしまうことになりそうな 気もする。オタク文化より、長八作品は「アート」という上位層のものだ、ということではない。そういうとらえ方をしていると「捻れ」は強化されると思う。 勘だけど。

 

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 貸してごらんと優しく言われ撮ってくれた写真に「あざとい」とつぶやいて少々機嫌を損ねられる。

 

④ この世的な聖域というパラドックス

 

 オタクという表現には、一つの次元内でバランス感覚として機能する「卑下」が入っている。違う角度から言い換えると、オタクという現象では、卑下 によって、自分が多大な労力を投下している行為の意味が問われない安全な次元が作られている。

  ここでちょっとわざと大上段的に、「表現」というものは、従来的な 生活や文化に役立つことや、時に人や時代からの評価までをも含む「この世的な意味」縛りから独立に、自身の内発的動機からの労力を用いる行為によって、本 人の聖域(美の追求の仕方等)が外に立ち顕れてくること、それが結果としてこの世や自分自身に新しい意味や価値を生み出すことになるもの、と言ってみると したらどうだろう。物事や事物がもつ従来からの意味のその向こう側の本質のようなものが、自分の脳髄の中にあるものと結びついて、自身の内発的働きである かのように表現される、と言い換えてもいい。

 心理療法において、表現を重視するのも、根本的にはこのように考えているからであると思って いるし、私も究極的なところではそう考えている。それに対してオタクという現象は、この世のものとは言えない何かを、自分の内側から、この世に生み出す営 みではなく、卑下によって、その何かの神聖さは、この世的な( )に入れられて安全に保留されるという点で、「表現」にはあたらないと言ってみることは簡 単だが、では、そんな究極的な「表現」は果たしてダイレクトにできるものなのか、というのは難しいところで、実は「アート」や「芸術」というものも、その 「名」の「枠」の力によって、この世的に、ある程度安全な不可侵域が守られる、という構図をやはりもっている。こういうとらえ方をしたとき、オタク文化 と、芸術という名のもとの活動は、「この世的に聖域を担保する」という構図は双方にあるけれど、そのための方法が違うもの、ということになる。

 

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⑤ 守りは牢かゆりかごか

 

 オタクという現象構造にしろ、芸術という名の枠にしろ、それぞれ守りではあるわけだが、自分の内にしろ、この世ではないところとこの世とを貫く 「表現」、そういう表現の萌芽が、こうしたこの世的なトリック構造で、もしがっちりと守られきってしまったら、 この世に「表現」は生まれなくなる。

  ところで、実は発達障害の構造も、そういう「生まれにくさ」からとらえる見方モデルがあり、その場合は、生まれる、ということに向かう心理療法となってい くと言える。実際、心理療法的展開というのは、例えば「生まれない」「生まれにくい」というイメージの力が一度動きだしたら、クライエント自身やセラピス トの思いとはもはや独立に、この世的な意味では本当に非常に危ないところも通って「生まれる」に向かって動きが展開していくということにもなる。

  そういう事例も聞いたりしながら、そこで起こったことを、自分の言葉で解釈しなおすなども通して、ああ「表現」というものはそういうものだった、と「表 現」というものの根源的イメージを自分に刻むことになっていった体験は私にとってとても大事なものとなっている。その一方で生まれにくくしている構造から 出る誕生」を心理療法モデルとしてそれを目指すのは、自分の経験実感から言えば、それをするには、この世に生身の肉体を持つ人には(クライエントにもセラ ピストにも)負担が大きいと感じ出してもいる。そういう自分の感じ方が正しい、というのではなく、「閉じたところから出る主体の誕生」モデルが心理療法的 には正しいとしても、私には、私の心身的に無理なのだ、ということを一度認めてみる。自分はできないということを、悔しいような哀しいようなだけれど認め てみるところから、振り返りなおしたりいきつもどりつしてみるうちに、最近少し、オタク現象の構造、発達障害の構造というものは、大切なものが生まれにく くなっているガチガチのものではなく、ゆりかごのようにすることもできて、そこから、「表現」(ここを「主体」とは言わない)は生まれることを感じられる (信じられる)ようになってきた。芸術という守りからも表現はもちろん出てきたし、自称「オタク」の方でクリエイティブな方はもはや大勢いる。自分が発達 障害であることを土台に、まさにこの世的なところの外からの「表現」をこの世に生み出している方もいる。その方のブログをよく見に行く。

 大回りしたしたけれど、長八さんの世界にもどる。

 

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 こちらの長八さん作の龍は漆喰鏝細工ではなくて木彫らしい。松崎町にある明治創設の岩科学校。

 

⑥ 枠 額 表装

 

 明治になって、額に入った西洋絵画という絵なるものも見るようになったとき、人はそれをどんな風に思ったのだろう。長八さんは、狩野派の絵師でも あったから、もちろん絵も描く。襖絵や、美術館の傍の長八記念館となっているお寺には、長八さん作の八方睨みの龍などの天井絵などもあったが、江戸時代 の間は、その時代の文化生活空間を装飾するという意味の外には出ない職人だったはずだ。より納得のいく高い表現性を目指して精進する絵師や鏝絵師であった としても、それでも職人であったろう。

 掛け軸や、蒔絵といったものは確かに、襖絵や天井絵などの 表具絵よりも絵としての独立性は少し高そうなものではあるし、それは時代を遡ってずっと以前からあったものだが、掛け軸はやはり床の間を装飾するものだ し、蒔絵も室内小空間でプライベートに楽しむということで、生活の中での機能の外には出ていないのではないか。そういうものとは異質な、額に入った、絵と してだけでも存在する絵というものを知るというのはどんな感じのことだったのだろう。

 長八作品の鏝絵だが、絵の「額縁」までが漆喰鏝 「絵」になっているものが多いのだ。額縁部分を漆喰で盛り上げて木目等まで漆喰レリーフでつけてあったり。どう見ても竹製の額で、腐るとイヤと思った絵の 所有者が、額部分に防腐剤を塗布している途中で、あれ?と思ってこすってみたら漆喰だった、というものもあった。以前から日本にも、掛け軸にしろ蒔絵にし ろ、絵の部分と、表具職人が絵に表装を施した、絵を取り囲む部分とがあるわけだから、それらと西洋絵画の額というものとを比較把握はできたはずで、掛け軸 などでの表装とは少し異なる性質があるということまでとらえて、額についてを、絵の世界を高める、絵をとりかこむ、絵とは別のもの、という把握は したろうと思うのだ。そして木彫などもできてしまう彼ならば、額は額で別に作ることはできたはずなのだが、彼は額ごとを鏝「絵」とする。おそらくわかって やっているのだから遊び心になるのだろうが、彼はどうしてその遊び心を大事にしたかったのか。

 

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富士山の鏝絵もけっこうあった。額込みの鏝絵で。

 

⑦ 枠を超えないという表現は枠を超える

 

 西洋絵画でも、肖像画の周囲に額縁を描きこんで、肖像人物の手がその額にかかっている、というのをたまに見かけたことを思い出す。見た目は似てい るが、長八さんの額込みの鏝絵は、どうもそれとは性質が違うように思える。西洋絵画で肖像画の中に額を描き込むのは、額が絵とは別ものであるというこ と、額は絵にとって大切なものだけれど額なしでも絵は絵として別個に存在することに皆疑いをもっていないということが共通認識としての前提になっ ていて、その額に肖像画の人物の手をかけることで、その共通認識をひっくり返すというトリック体験を鑑賞者にしてもらったらおもしろかろ、みたいなことと して、見る側としては体験した。

 長八さんが、額込み鏝「絵」を描いているのはもちろん明治になってからだが、日本で明治以前に既にあっ た、額に近いものとしての掛け軸や蒔絵の表装を考えたとき、そこに貼り込められている絵についてを、その表装とは別個の絵と想定したその絵そのもののの存 在は、絵師や表具師などではない一般人の共通認識のレベルでも、そんな風に独立して感じられていたものなのだろうか。それに所有者が額部分を漆喰鏝絵に なっているとは気づいていないケースもあったように、必ずしも見る人を意識して描きこんだわけでもないことを思うと、それは彼自身の矜持とか宣言にも思え てくるのだ。

  狩野派の絵師であれ、鏝絵も施す左官工であれ、職人である、ということは、生活文化空間と共にありつづけることでこそ「意 味」を持つ。長八さんの鏝絵の漆喰額は、生活文化空間であって、建物であり、床の間であり、襖であり、天井であり、表具、なんじゃないだろうか、というこ とを思った。「表現」をするに、そこから切り離されることは断る、そのことまで含めてが私の表現だ、と。

 明治という時代の中で、それまで の職人的世界観からすれば、西洋という異質世界観に出逢ったことで、おそらくそれまで自明すぎて振り返ることさえありえなかった「職人であるこ と」が、逆説的に職人仕事を越えて「表現」されることになった、と言えないだろうか。

 職人でありつづけて職人を超えた職人の神様。

 

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 松崎町役場一室にあった床の間の土壁に直接描かれた掛け軸の鏝絵。虫喰い跡も古びた紙質のよれも漆喰凹凸で描かれている。墨絵部分の濃淡も漆喰凹凸。役場移築の際に、まわりの壁ごと美術館に移された。