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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

伊豆の長八美術館⑥

Higanzakura視点

 明治になって、額に入った西洋絵画という絵なるものも見るようになったとき、人はそれをどんな風に思ったのだろう。長八さんは、狩野派の絵師でもあったから、もちろん絵も描く。襖絵や、美術館の傍の長八記念館となっているお寺には、長八さん作の八方睨みの龍などの天井絵などもあったが、江戸時代の間は、その時代の文化生活空間を装飾するという意味の外には出ない職人だったはずだ。より納得のいく高い表現性を目指して精進する絵師や鏝絵師であったとしても、それでも職人であったろう。

 掛け軸や、蒔絵といったものは確かに、襖絵や天井絵などの表具絵よりも絵としての独立性は少し高そうなものではあるし、それは時代を遡ってずっと以前からあったものだが、掛け軸はやはり床の間を装飾するものだし、蒔絵も室内小空間でプライベートに楽しむということで、生活の中での機能の外には出ていないのではないか。そういうものとは異質な、額に入った、絵としてだけでも存在する絵というものを知るというのはどんな感じのことだったのだろう。

 長八作品の鏝絵だが、絵の「額縁」までが漆喰鏝「絵」になっているものが多いのだ。額縁部分を漆喰で盛り上げて木目等まで漆喰レリーフでつけてあったり。どう見ても竹製の額で、腐るとイヤと思った絵の所有者が、額部分に防腐剤を塗布している途中で、あれ?と思ってこすってみたら漆喰だった、というものもあった。以前から日本にも、掛け軸にしろ蒔絵にしろ、絵の部分と、表具職人が絵に表装を施した絵を取り囲む部分とがあるわけだから、それらと西洋絵画の額というものとを比較把握はできたはずで、掛け軸などでの表装とは少し異なる性質があるということまでとらえて、額についてを、絵の世界を高める、絵をとりかこむ、絵とは別のもの、という把握はしたろうと思うのだ。そして木彫などもできてしまう彼ならば、額は額で別に作ることはできたはずなのだが、彼は額ごとを鏝「絵」とする。おそらくわかってやっているのだから遊び心になるのだろうが、彼はどうしてその遊び心を大事にしたかったのか。

 

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富士山の鏝絵もけっこうあった。額込みの鏝絵で。

 

同記事まとめて①〜⑦

伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦ - Fuji to Higanzakura