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Fuji to Higanzakura

心理臨床ベースに少しずつ

伊豆の長八美術館③

Higanzakura視点

 漆喰を盛り上げて、壁面にレリ—フで、絵というか図像を浮かび上がらせる鏝絵だが、土蔵壁や、土蔵窓や土蔵扉の内側に描かれているものは、生活の中に組み入れられている装飾ということになり、長八さんのそれらの多くは活動の本拠地だった江戸東京にあったとのことで、火災等で殆ど残っておらず、現存する長八作品としては、この美術館にあるような、室内用の「絵」としてのものが結果として多くなっているという。だから、職人としての左官工とその延長にある生活の中の建物に組み入れられている漆喰装飾という職人軸と、生活の中の意味とは独立した、今で言うところのアート的な「絵」として鏝絵を実践している軸と、どちらが彼のメインの軸かはわからない。けれど同じ一人の人がつくっているのだから、そこを分けるのは、他人とか、自身であってさえ時代的なものに制約を受けた言語認識だったりもする。とにかく少なくとも美術館内の鏝絵を前にすると、漆喰と鏝を用いて立体感を出した絵、ととらえるだけでは収まりきらない、なんなのこのモダン感は、みたいなざわざわが湧いてきて、江戸から跨いで西洋文化がどっと流れこんだ明治期を江戸東京で活躍していたということが、肌で感じられてくる。3D眼鏡対応の2次元画像を前に3D眼鏡をかけるような操作を、自分の脳がしているような気がしてくる絵。それだけではないけれど。見ながらずっと「おかしい、なんかおかしいよ」とつぶやいていしまう。

 家人から、「『よくわからないけどなんかすごい』とあなたは思っていて、最近の『やばい』という表現とどうも同じらしいことは自分にはわかるが、他の人が聞いたらどう聞こえるかわからないしあまり品もないのでおやめなさい」と諌められ、素直に「はい」と思ったが、長八作品がお好きだとわかる女性職員さんが虫眼鏡を渡してくれて色々教えてくださるときに、「この方。。。おかしい。。ですよね」と口をすべらせてしまったら、ふふ、と微笑まれて「ええ、実は私も最初、おかしいと思ったんです」と寛大に受け止めてくださって、どっと落ち着く。

 私が感じた何かは、大大風呂敷を広げれば日本が(ひいては世界も)抱えている、そして卑屈になれば私自身が抱えている「捻れ」を、貫くかほどくかできそうかもと思える蠢きみたいなものだ。私は、その「捻れ」部分を、やはり貫くかほどくかすることになりそうなもの(または強化してしまうかもしれないもの)として、「発達障害」や「オタク」という現象も入れているが、できれば強化するよりほどくことを望むのなら、多元的であった方が良い。「おかしい」という表現での感じ方のままだと、長八さんの世界を、自分は「オタク的」というところに入れてしまうことになりそうな気もする。オタク文化より、長八作品は「アート」という上位層のものだ、ということではない。そういうとらえ方をしていると「捻れ」は強化されると思う。勘だけど。

 

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 貸してごらんと優しく言われ撮ってくれた写真に「あざとい」とつぶやいて少々機嫌を損ねられる。

 

同記事まとめて①〜⑦

伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦ - Fuji to Higanzakura