Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

2016.10.18 ラ•トラヴィアータ記事一覧 ー「料理簡易記録」と「Higanzakura」ができるまで-

 

プロローグ 焼きぶどうにブルーチーズ

 

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巨峰をホイルにのせてグリルで焼く。

皮はフォークとナイフでつるりと剥ける。

                 

自分で準備した食べ物の簡易記録の カテゴリーは、

つくる、ときどき、トラヴィアー タ

にしよかな。。。

 

① それは料理か?

 

 Fuji to Higanzakura内、自分で準備した食べ物の簡易記録のカテゴリーは「つくる、ときどき、トラヴィアータ」。

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ときどき、自分のするそれは、料理と言うには、外れてる気もする、と思ったから。

踏み外そうとは思っていないけれど、想像の外側に出逢いたいとは思っている。

ラ•トラヴィアータ:オペラタイトル。道を踏み外した女。通称椿姫。

 

② 想定外

 

 オペラ、ラ •トラヴィアータ(椿姫)のヴィオレッタは「嗚呼、生きたいわ」「生きる力が湧いてきたわ」と言って最期力尽きる。あの生きたいという思いは、死ぬ前にア ルフレードに一目会いたいとは思ってはいても、死ぬことは受け入れていたはずの彼女の、自分の想像を越える思いとの出逢い。死期を前に唯一自分を守ってい た絶望という繭は破れて、自分の枠、自分の想像、を越える何かと、ほんの一瞬だけ出逢う。出逢ってすぐに死んでしまうにも関わらず。

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  最近の演出では、最期、アルフレードが、ヴィオレッタが死ぬ前にぎりぎり間に合って会いに来る場面、それによって「嗚呼、私生きたい」とヴィオレッタが心 の叫びを訴えるその場面で、アルフレード役は舞台に出ずに舞台袖内で歌っていて、舞台では、アルフレードという名の記号が暗い壁に光で映っているだけで、 その記号に向かって狂気のヴィオレッタが歌っているというのがあったらしく、観客の涙を誘った、という話しを聞いた。

 

③ だが断る

 

 残念ながら見てはいないのだけれど、アルフレードという名の記号と対話しているというその演出だと、彼女自身の閉じた狂気内だけの話しということ になるわけだが、そうであっても、もはやその甲斐も意味もなくなっている時にも関わらず生じる、その「生きたい」という思いは、やはり何かとてもリアルな ものとの出逢いとして解釈するのでいいのではないか。

 図書館に返してしまったから、うろ覚え記憶からだが以下、山口晃氏の「ヘンな日本美 術史」の中から。白熱するベースボールなりなんなりの試合があって、それをスタジアムで観客が見て感動興奮する。この場合、その試合が作品。試合を見て興 奮している観客のいるスタジアムごと、メタ視点で作品にしてしまうという動きの始まりとして有名なのが、便器を展示して泉と称したマルセル•デュシャンの 作品。以降意識のメタ化はどんどん進んでいて、そのうち人類は地球の裏側に寄せ集まって窒息死するしかなくなるんじゃないかと思うが、そういうメタ化へメ タ化へと向かう意識の流れは流れとして止められるものではないけれど、その流れの中にあっても、それでもそもそも「試合」が面白い、という感覚は大事なの では?、みたいなことが書かれていたと思う。

 ヴィオレッタの狂気世界内という、メタをメタにしたらひっくり返って閉じた世界になってるみたいな超メタ演出であっても、アルフレードの腕の中というベタ演出であっても、いずれにせよヴィオレッタの「生きたい」に出逢って、引き裂かれたい。

  「状況によらず、生きたいという思いよあれかし」というのではなくて、そのような思いの意味などもはやなくなっているにも関わらずそれは生ずるとしたその 演出に、おそらく私たちはある種のグロテスクさを感じるのだが、物事には、ましてや「生きたい」という人の思いには、なんらかの意味はあるはずとしていた い人の心のあり方という「枠」の「外側」に触れてしまって揺さぶられていることを、グロテスクさを感じることによって、舞台を見ている私たちは感じること になる。メタ化意識が進むほどに「意味」や「情動」は喪失していく。それはそういうものだ。だからその演出のオペラを見てグロテスクさも感じずに「ふーん ヴィオレッタの狂気演出なのかわかったよ以上終わり」となるとしても(私にもそういう部分はある)、グロテスクさをただ、情動のような実体感なしに(知的?脳的?)快楽として消費するようになるとしても、それもメタ化意識へのとめようもない流れの理(ことわり)だ。でももし、この演出で涙するとしたら、 そういう流れの理は理として認めながら「だが私は断る」のであり、ヴィオレッタの、もはやそれは意味のなくなった形だけかもしれないその古典的愛情表現形式や、ヴェルディの圧倒的な音楽に仮託しながら、生アルフレードに「生きたい」と訴えるベタ演出時のヴィオレッタの如くに、自分が引き裂かれることを自ら選ぶ、ということをしているのだ。

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 追記:

  後日改めて本を買い、読み直し、だいぶ自分の言葉で換えすぎている、と反省含めて思ったけれど、表現が色々な人にとって色々にとらえられてしまうことを、 ふわりと受け止めたりふわりと逃げたり、ふわりと(必要ならしっかり)否定もしながら、表現を続けていってくださるはず、と思ってそのままに

 

④ そういえばあれも想定外

 

 オペラのラ•トラヴィアータでは、最期で出てくる「生きたい」というヴィオレッタの思いの噴出を、自身の想像を越えるものとの出逢いによって自ら 引き裂かれていくこと、ととらえて書いていると、どうしても、もう一つ別の、自身の想像を越えるものとの出逢い場面が頭の中でちらちらしてくる。原作の小 デュマの小説 La dame aux cmélias 、椿の貴婦人(邦題は椿姫)のある場面。

 小説の始まり頃の有名な場面、アルマン (原作では男性の名はアルマン、女性はマルグリット)がマルグリットの墓をあけ、あえて当然むごい状態の死体と対面する。そこからアルマンは発熱し何日も 生死の境をさまよい続けた後、自分たちの悲恋話を小説の語り手に語り出すという小説構成になっている。彼の想像の中には、美しかったマルグリットしかいな いのに、自らその想像の外のリアルとの出逢いを、自身にもどうしようもなく熱に浮かされたように求める。
 色々確認したくなったが、引っ越しの際に処分したらしい。本が見つからない。うーむと思ったら、今はkindleですぐ読めますね。便利。 f:id:higanzakura109:20160926222226j:plain

  ちなみにこの原作小説の方は、オペラのアルフレードヴィオレッタとは違い、アルマンはマルグリットの死には間に会わず、マルグリットは、ひたすらアルマ ンを思う手紙を書きながら死んでいく。この場面だけを読むと、男の人は(小デュマは)、好きになった人には別れても自分のことを最期まで思いつづけながら 死んで欲しいのね、みたいなひねた小さな読み方もしてしまいたくなる感じもあるのだが、あの強烈な場面があるために、そんな自分の読み方はどうでもいいか、となる。

 

⑤ 結婚とは

 

 何か、ふわっと見えかけた気がして、つかまえられないかとかなり粘ってみたのだが。。。

 原作の墓のシーンを、オペラではどうして組み入れなかったのか、という疑問を、以前からけっこう長く抱えていた。最期、アルマン(アルフレード)が、マルグリット(ヴィオレッタ)の死に間に合うか間に合わないかという設定を、オペラは原作とは違えたから、と言ってしまえばそれまでなのだが。腕の中で死んでおそらく墓入れまで見届けているだろうという設定になったら、もう墓をあばくという流れにはならないよね、という話し。

 でも今回原作を読み直して、オペラは、原作を「変えた」というのではなく(あくまで私の主観的体験として)、原作とオペラ脚本は別別の別人格なのだ、と。原作に対して、原作とは別人格のオペラ脚本を対置させたのだ、と。

 自分の想像を越えた何か異質なもの(他者と言ってもいい)とは、出逢うことはできても、同じ土台の次元で語り合うことはできない、自分の中でイメージさえすることができない、ということとつながっているのだが。。。

   オペラのヴィオレッタも、原作のアルマンも、自分の想像の外の異質さにそれぞれのあり方で開いている。原作もオペラも、内容的には、悲劇のもとを高級娼婦 という設定に帰させているが、自分にとっての異質さの先をそれぞれの恋の相手とするとき、次元を共有できないという点で悲劇になるのは必然というとらえ方 もでき、その悲劇すら、原作のアルマンとオペラのヴィオレッタは、共通の物語として共にすることはできない。原作のアルマンの悲劇と、オペラのヴィオレッ タの悲劇はそれぞれの悲劇であって別のものだ、原作とオペラは、それぞれ別次元を生きる別人格だ、と思ったとき、「原作:la dame aux camélias 椿の貴婦人(椿姫)」と「オペラ:la traviata 道を踏み外した女(椿姫) 」は、他者同士のカップルとして、今この世に穏やかに存在し時を共にしている、というイメージになった。ふわっと幸せになる。

  。。。実はこうしたイメージの動き方は、心理療法的展開モデルの一つだ、と今気づいた。

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そういえばバレエ ヴァージョンもあった。タイトルは「マルグリットとアルマン」。原作ヴァージョンの名前を使っているわけだが、内容構成はオペラのそれ。「マルグリットとアルマン」というタイトルは、原作の方の世界ですよ、ではなく、オペラプロットを知っていることを前提に、でもオペラとは違う世界ですよ、ということかな。音楽はリス ト。

 

⑥ 絶望を知る前の「花から花へ」と歌うヴィオレッタのようだったこともある

 

 話しは変わるが、かつて住んでいた国の地方音楽学校で、かなり真剣に声楽を習っていた。言葉も拙く、もう既に前途ある若人では決してない年齢の生徒だったのに、その学校には随分よくしてもらって、ソロの教会コンサートなども企画してもらったり、その学校で日本の震災チャリティーコンサートをするから出るようにとアレンジしてもらったりもした。涙。

 その学校の、愛嬌のある男性ピアニストさん(イタリア系フランス人)との伴奏合わせに行くのに、道路工事による迂回続きで道に迷ってどこにいるかわからなくなり、「迂回路ばかりで今自分がどこにいるかももうわからない。今夜のお約束には間 に合いそうもなくて悲しい。道を失くしたトラヴィアータと呼んでください。」とメッセージを打ち、まぁとにかく来いやと返事をもらい、約束時間終了の頃に やっとついた。「やあよく来たねヴィオレッタ」とは言ってもらえなくて残念だったが(別にヴィオレッタのアリアはやってなかったし)、仕事時間を延長して約束していた時間分みっちり合わせてくれたことなどを今思い出した。あちらも楽しんでくれていたと思う。感謝。

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⑦ à la recherche de la voix perdue  失われた声を求めて

 

 先の地方音楽学校は、つまり家族のようなもので、一生懸命練習して来て、そこそこ歌え、外国の地に来てろくに言葉もしゃべれないのに、歌えることでいつもご機嫌になっているような私を、庇護してくれていたのだと思う。

  けれども、日本の震災というきっかけが自分の中では大きかったが、その庇護を出て、国立の音楽学校で正規のディプロマ(学位)をとりたいと思うようにな り、苦労して試験も受け、その学校を後にして国立の音楽学校に編入した。そこからは底なし沼になった。結局ディプロマは取れず、今は軽い趣味程度に時々声を出すくらいだが、声楽ディプロマの問題だけでなく、底なし沼はあらゆるところがそうなっていった。今もそこから出てはいない。

 差別とい う言葉の意味さえ成り立たないほどに人の定義がおそらく違う。自分としては、日本人である前に人であるつもりでいても、人である前 に(人以前の)日本人になってしまう。こう書くと、あちら側がする差別のような表現になってしまってフェアじゃないだろう。そんな差別めいた意識はない。 「日本人」のところを「私」とか「主体」と書き換えてみるとあちらの感覚が少しわかるかもしれない。「自分としては、私(主体)である前に人であるつもり でいても、それは、人である前の(人以前の)ぐずぐず妖怪私めいたもの」ということになる。こう書いてみれば、そんなのは、それは当然そうでしょう、とい う表現にちゃんとなっていないだろうか。「私」や「主体」である前に人であるなんてことが許されるのは赤ちゃんくらいだ。そんなつもりでいるなら私が底な し沼に入っていくのは、自業自得として当然となる表現。私自身、自分を振り返ってはそういう表現認識で自分の状態をとらえていた。ただ、その「私」や「主体」の定義なり、それが示すところとして自分が持っていたイメージは、そもそもあちらが定めたものだったりする、という可能性には、思いいたっていなかっ た。

  家人も苦労したようだ。家人の場合は、本人が言うには、一部の自分を西洋人にすることで対応したらしい。私は、赤ちゃんレベルなりにできていた(と思って いた)コミュニケーションまで萎縮してとれなくなり悩みだすと、「別人格を作るんだ」とのアドバイスを言い続けた。語学習得については、たいていのアドバイスにはそうあるの で、習得できる人はそれができるということだと思うが、言われていることがわからず、泣いた。同じアドバイスを繰り返されて「わかるように言って くれなければ意味がない」と泣きながら怒った。そう怒って言ったすぐ後に、語学を習得したいと思っている人が、それを言っちゃおしまいというセリフだと気 づいた。どうしようもなかった。

 

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⑧ そうして名がつく 

 

 私が受けてきた心理療法教育では、イメージや表現というものをとても大事なものとして扱う。それ自体に力のあるもの。そのことは染み付いて、自分 の根にある。ただ、従来の見方のままで、そこから養分がとれるかといったら、もはやそういうものではない。中身(意味)もなくなっているかもしれない箱。 だからあえて箱をあけたりはしない。

 こういう表現だと、蓋していないで自分の弱さを見ていくべき、というところにつながりやすいけれど(でもそれは底なしだからね)、「ヘンな日本美術史」(山口晃)を読むと、そもそも中身と箱、図と地、などのとらえ方もいろいろ想定できるかもしれないもので、今、多くの 人が一つと思ってるそのとらえ方はどこから来たものなわけ? あなたの内側からとは限らないよね。他の人例えば西洋からかもしれないよね? という問いも 立てられるんだけどね、と言ってくれてるように思えて、けっこう泣ける。

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  尊敬しているある研究者さんは、日本の発達障害の現象と向きあう中で、最近少しずつ、日本人的主体ということを考えだしているようだ。心理学的に見た「主体」というものはこういうもの、と漠然とされてきたようなこれまでの「主体」とは、別の主体(日本人的主体)を想定する、ということなのではないかと思っている。私自身は、日本人的主体という概念の中に入って変容するには、きっと少し長くあちらにいすぎてしまったろうけれど。

 またHSP(Highly Sensitive Person 繊細すぎる人) という概念などは、概念提唱者さんが細かいケアモデルや、HSP郡の適応状態の違いの要因仮説などとともに世に出していて、そういった細かいこと全てが 妥当そうかどうかにこだわることも大事とは思うけれど、私にはなによりもまず、非HSP郡がこれまで世の中的にはそれだけだと思われていたような「主体」のあり方だとすると、それとは世の中を別の感じ方で生きているHSP郡という「主体」のあり方を提唱している、ととらえられる点がとても興味深い。

 オマージュ⑧より

「今の時代なら、他者性の間の他者性(異質性)を発見できる。」

 

⑨ 象徴機能が、世界との関係の中でその人らしく発現しているかどうか

 

  人と通じ合える象徴として機能するような言語獲得の遅れ、ということを思い浮かべるとわかりやすいかと思うが、発達障害は、その本質的特徴を非常 に大きくとらえると、イメージ(象徴)機能が成立しない、ということと言える。発達障害の現象というのは、まさにイメージの力によって展開する心理療法に とって、心理療法もその土台を踏み外させられるところ、イメージの彼岸、ともいえるデットポイントだった。

 それでも心理療法は、「象徴にならない、ということを、どうイメージするか」ということをし、「デットポイントというイメージ」を逆手にとることさえする。それぞれが自分の実践を通して模索してきた。

  ちなみに「発達障害」という言葉は、本来なら通常の精神「発達」に伴って得られるはずの精神機能がその個体に認められにくい、ということを連想させる表現 だ。この連想の見方は、「健常発達からの偏倚」モデルであり、この現象がその名で流布しているのは、そのモデルでのとらえ方が一般共通見解が得られやす い、ということだろう。精神機能の偏りー社会的には「遅れ」ということになったりするわけだがーを、その特徴をふまえた上での特別な教育や訓練によって健 常状態に近づけるというアプローチが療育モデルであり、また、特徴を周囲の人が理解することによるサポートシステムでQOL(生活の質レベル)をあげると いうアプローチもあり(発達障害が背景にある鬱やその他の精神症状などに医療が対応するなどもここに入るだろう)、実際、発達障害への援助としては現在こ れらが主流である。

 一方、心理療法のアプローチはそれらとは異なっており、もともと病気などの症状までをも、その人を全体としてみたとき の自己全体(それは生物的な個体単位のレベルにとどまらない)からのなんらかの「表現」として、象徴的にその「表現」をとらえていく自身の気づきや振り返 りを促すものだ。しかし発達障害の症状や訴えというものは、その人の自己の表現として象徴的にとらえらることが難しい、ということが言われてきた。

  ところで、発達障害は確かに色々な典型的特徴などが診断の目安としてあげられてはいるが、「象徴機能のあり方」という、その大きな本質的特徴にも気づける ようになると、発達障害児的な典型特徴などは示してはいない大人の郡も、次々と発達障害のくくりに入っていくことになった。それは、自閉症スペクトラムと いう精神医学領域で重要な知見となっている言葉が、一般にも流布されるようになってきていることともパラレルなところがあるかもしれない。その考えは、も ともとはそれぞれ別々なところからとらえて概念生成されてきた、自閉症アスペルガー症候群には、自閉症的要素が連続体(スペクトラム)として あるととらえるモデルであって、私がその自閉症スペクトラムという概念を習ったときには、その連続体が健常者まで続くものという考えはそこには含まれてい なかったと思うのだが、今、日本語のネット検索のレベルで見ると、自閉症スペクトラムという概念は、健常者と自閉症をわける境は客観的な何かとしてあるわ けではない、というとらえ方にまでつなげられていることも多いようだ。だからそのとらえ方は、もともとの「自閉症スペクトラム」の概念から すれば、広くとらえ過ぎ、ということではあるのだが、そのような広いとらえ方が、かなり多くの人にとっての主観的な実 感覚になりつつあるのだろうとは言えるだろう。さらには、実はそもそも心理療法というものが、先に述べたように、クライエントが呈している病理症状までをも、病者≠健常者ということからは自由な、相容れないはずのその二つさえをも貫く普遍性のあるイメージ(象徴)としてとらえようとしていく試みであるので、発 達障害の心理療法は難しいとしながらも、その試みを続けてきた立場からすると、「自閉症スペクトラム」という概念の解釈としてとは別に、そのように広くとらえる考えを否定するものではなく、ユング派的な「元型」という言葉を使えば、この世では、自閉症的なこととして立ち現れることの多い「何か」が、普遍的な元型イメージとして「動き出す」ような、そのイメージに「いのちが吹き込まれていく」ような可能性にも開きつつある付置、としてとらえたい。

 そんな背景もあって、発達障害の本質的特徴として「象徴機能が成立しているかどうか」を見るといっても、文字通り実体的にそのことを示しているような言語獲得の遅れのような例だけではなく、「その人の象徴機能が、世界との関係の中でスムーズにその人らしく発現しているかどうか」 などといった、もはやかなり象徴水準も普遍性も高いテーマも同じ系列でとらえられることになった。そうなると、例えば、言葉もわかりやすく人との情緒レベ ルコミュニケーションも細やかに見え、情緒も安定していて周囲にも愛されている(けれど本人は鬱だったり引きこもりだったり)みたいな場合でも、話しを聞いていくと、とても 発達障害的なテーマを抱えているということにもなって、発達障害とされることも十分ありえた。セラピストや医者等の援助者が、相応にその本質的特徴に敏感 な者であれば、少なくとも自分の内側に抱えている(診断として明示的に伝えるのとは異なる)見立てのレベルにおいては、一律発達障害としてきた、と言って いいと思う。

 けれど、もしかしたら、という予想ではあるのだが、これまでの心理療法の(私の拙い表現 だと「イメージできないということをイメージする」とか「イメージのデットポイントというイメージを逆手にとる」とかになるのだが)はっきり言って無理芸とも言える試行錯誤や、もちろんなによりもまず発達障害者自身の、生きつづける試行錯誤(それもやはり、人によってはもはやこれは無理芸と感じつつしているような、そんな試行錯誤)と、それを見て周囲の人も何かしらを感じてきている、ということも経て、多くの大人の「発達障害」は、「発達障害」というその名を今後少しずつ変容 させていくかもしれない。そんな世界をかすかに見はじめている。

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⑩ Higanzakuraができるまで

 

 イメージの彼岸、象徴機能が断絶するところ、が立ち現れるというのは、自分の中でイメージも想像もできないような異質な「他者」と出逢うということでもある。発達障害の個体が抱えているとする、実体レベルから象徴レベルまでをも含む「象徴機能不全の問題」全体を、セラピストという「他者」との出逢 い、ということに一括転換させる、というのは、発達障害心理療法モデルの一つだが、このモデルは、発達障害心理療法にのらないという問題を抱え込んだ心理療法にとって、コペルニクス的転回だったと思う。人が真剣に人(人でなく何か、でもかまわない)に向き合ったとき極めれば必然的に浮上してくる 普遍的テーマであり、そういう普遍性のあるイメージの力を心理療法内にまた持ち込むことができたのだ。

 ただ私の場合は、そういうアプ ロー チで問題となったのは、「心理療法」や「カウンセリング」という「名」が持つ「枠」だった。クライエントの前で、クライエントにとって想定外の「他者」として立ち現れるには、セラピストやカウンセラーである以前に、私という人である、ということになるが、心理療法やカウンセリングの中で、セラピストやカウ ンセラーでなければ人でなしだ。「セラピストはクライエントさんにののしられてナンボ」ということで人でなしであり続けることさえセラピストというのは実はする生き物だが、私の場合は、臨床実践のあり方が、長く海外からのスカイプ面接だけだった。従来からの心理療法がとっている対面面接という形であ れば、言語コミュニケーションでの相互理解が断絶し果てるとき、位相が変わって、お互いが非言語のレベルで他者同士として場と時を共有してそこにいることにも気づいていく、といったことが起こることを期待したり信じたりはしやすいのかもしれないが、私の場合は、それを信じることはできなかった。

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 「「私の」心理療法をベースにした、スカイプ面接によるサポート実践は続けていくが、カウンセリングということではもうやらないという方向を考えている」というこちらからの申し出と、クライエントさんからの「カウンセリングを休止したい」との申し出は同時だった。 

 

 

エピローグ 里芋と茗荷のみそ汁

 

 そもそも、料理かどうかもわからない自分の料理の記録カテゴリーに、料理という言葉を付ける気にならないから「つくる、ときどき、トラヴィアータ」にしよう、というところからだった。

 とんだところまで来てしまった。

 ついでになんだかぐるっと回って、料理という言葉への羞恥心は吹っ飛んだ。

 料理の簡単な記録記事は「料理簡易記録」。

 

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頂き物の里芋と茗荷。好きなみそ汁の具材組み合わせ。万能ねぎとかの青みも入れたくなる気持ちをぐっと抑える。