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Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、もしかしたら、心理臨床

ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女⑩

Higanzakura視点

 イメージの彼岸、象徴機能が断絶するところ、が立ち現れるというのは、自分の中でイメージも想像もできないような異質な「他者」と出逢うということでもある。発達障害の個体が抱えているとする、実体レベルから象徴レベルまでをも含む「象徴機能不全の問題」全体を、セラピストという「他者」との出逢 い、ということに一括転換させる、というのは、発達障害心理療法モデルの一つだが、このモデルは、発達障害心理療法にのらないという問題を抱え込んだ 心理療法にとって、コペルニクス的転回だったと思う。人が真剣に人(人でなく何か、でもかまわない)に向き合ったとき極めれば必然的に浮上してくる 普遍的テーマであり、そういう普遍性のあるイメージの力を心理療法内にまた持ち込むことができたのだ。

 ただ私の場合は、そういうアプロー チで問題となったのは、「心理療法」や「カウンセリング」という「名」が持つ「枠」だった。クライエントの前で、クライエントにとって想定外の「他者」と して立ち現れるには、セラピストやカウンセラーである以前に、私という人である、ということになるが、心理療法やカウンセリングの中で、セラピストやカウ ンセラーでなければ人でなしだ。「セラピストはクライエントさんにののしられてナンボ」ということで人でなしであり続けることさえセラピストというのは実はする生き物だが、私の場合は、臨床実践のあり方が、長く海外からのスカイプ面接だけだった。従来からの心理療法がとっている対面面接という形であ れば、言語コミュニケーションでの相互理解が断絶し果てるとき、位相が変わって、お互いが非言語のレベルで他者同士として場と時を共有してそこにいることにも気づいていく、といったことが起こることを期待したり信じたりはしやすいのかもしれないが、私の場合は、それを信じることはできなかった。

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 クライエントさんに「「私の」心理療法をベースにした、スカイプ面接によるサポート実践は続けていくが、カウンセリングということではもうやらないという方向を考えている」というこちらからの申し出と、クライエントさんからの「カウンセリングを休止したい」との申し出は同時だった。 

higanzakura109.hatenablog.com

 

同記事まとめて①〜⑩

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