読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、もしかしたら、心理臨床

ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女⑦

 先の地方音楽学校は、つまり家族のようなもので、一生懸命練習して来て、そこそこ歌え、外国の地に来てろくに言葉もしゃべれないのに、歌えることでいつもご機嫌になっているような私を、庇護してくれていたのだと思う。

 けれども、日本の震災というきっかけが自分の中では大きかったが、その庇護を出て、国立の音楽学校で正規のディプロマ(学位)をとりたいと思うようになり、苦労して試験も受け、その学校を後にして国立の音楽学校に編入した。そこからは底なし沼になった。結局ディプロマは取れず、今は軽い趣味程度に時々声を出すくらいだが、声楽ディプロマの問題だけでなく、底なし沼はあらゆるところがそうなっていった。今もそこから出てはいない。

 差別という言葉の意味さえ成り立たないほどに人の定義がおそらく違う。自分としては、日本人である前に人であるつもりでいても、人である前 に(人以前の)日本人になってしまう。こう書くと、あちら側がする差別のような表現になってしまってフェアじゃないだろう。そんな差別めいた意識はない。「日本人」のところを「私」とか「主体」と書き換えてみるとあちらの感覚が少しわかるかもしれない。「自分としては、私(主体)である前に人であるつもり でいても、それは、人である前の(人以前の)ぐずぐず妖怪私めいたもの」ということになる。こう書いてみれば、そんなのは、それは当然そうでしょう、という表現にちゃんとなっていないだろうか。「私」や「主体」である前に人であるなんてことが許されるのは赤ちゃんくらいだ。そんなつもりでいるなら私が底な し沼に入っていくのは、自業自得として当然となる表現。私自身、自分を振り返ってはそういう表現認識で自分の状態をとらえていた。ただ、その「私」や「主 体」の定義なり、それが示すところとして自分が持っていたイメージは、そもそもあちらが定めたものだったりする、という可能性には、思いいたっていなかった。

  家人も苦労したようだ。家人の場合は、本人が言うには、一部の自分を西洋人にすることで対応したらしい。私は、赤ちゃんレベルなりにできていた(と思っていた)コミュニケー ションまで萎縮してとれなくなり悩みだすと、「別人格を作るんだ」とのアドバイスを言い続けた。語学習得については、たいていのアドバイスにはそうあるので、習得できる人はそれができるということだと思うが、言われていることがわからず、泣いた。同じアドバイスを繰り返されて「わかるように言って くれなければ意味がない」と泣きながら怒った。そう怒って言ったすぐ後に、語学を習得したいと思っている人が、それを言っちゃおしまいというセリフだと気 づいた。どうしようもなかった。

 

f:id:higanzakura109:20160930142558j:plain

 

同記事まとめて①〜⑩

ラ•トラヴィアータ記事一覧 ー「料理簡易記録」と「Higanzakura」ができるまで- - Fuji to Higanzakura