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Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、もしかしたら、心理臨床

ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女④

Higanzakura視点

 オペラのラ•トラヴィアータでは、最期で出てくる「生きたい」というヴィオレッタの思いの噴出を、自身の想像を越えるものとの出逢いによって自ら引き裂かれていくこと、ととらえて書いていると、どうしても、もう一つ別の、自身の想像を越えるものとの出逢い場面が頭の中でちらちらしてくる。原作の小デュマの小説 La dame aux cmélias 、椿の貴婦人(邦題は椿姫)のある場面。

 小説の始まり頃の有名な場面、アルマン(原作では男性の名はアルマン、女性はマルグリット)がマルグリットの墓をあけ、あえて当然むごい状態の死体と対面する。そこからアルマンは発熱し何日も生死の境をさまよい続けた後、自分たちの悲恋話を小説の語り手に語り出すという小説構成になっている。彼の想像の中には、美しかったマルグリットしかいないのに、自らその想像の外のリアルとの出逢いを、自身にもどうしようもなく熱に浮かされたように求める。
 色々確認したくなったが、引っ越しの際に処分したらしい。本が見つからない。うーむと思ったら、今はkindleですぐ読めますね。便利。 f:id:higanzakura109:20160926222226j:plain

 ちなみにこの原作小説の方は、オペラのアルフレードヴィオレッタとは違い、アルマンはマルグリットの死には間に会わず、マルグリットは、ひたすらアルマンを思う手紙を書きながら死んでいく。この場面だけを読むと、男の人は(小デュマは)、好きになった人には別れても自分のことを最期まで思いつづけながら死んで欲しいのね、みたいなひねた小さな読み方もしてしまいたくなる感じもあるのだが、あの強烈な場面があるために、そんな自分の読み方はどうでもいいか、となる。

 

同記事まとめて①〜⑩

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