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Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、もしかしたら、心理臨床

言わせてもらう  オマージュ⑥

 これだけブログで楽しませてもらっていて彼の作品を買わないのはおかしい。でも私は別にミステリー好きでもないので、もはやブログ御礼のお賽銭として購入した。とはいえ彼の作品群は、ミステリー好きの間では評価が高いという。家人は楽しんでいたが、ミステリー音痴の私は、彼自身の作品の方には、彼のブログでの書評を読む時のようなワクワクや刺激は感じられなかったけれど、スタニスワフ•レムの作品でのこともあるから、彼の作品にも、彼の書評や読書感想があったら、私でもきっともっと読み込めるかもしれないのに、と思った。けれど彼の作品についてだけは、彼がポール•アルテ作品や、スタニスワフ•レム作品に向けたような視線で、書評や読書感想を書ける人はいないのだ、当の彼自身はそれを書けないのだから、と思っていた。

 当時は、自分の作品に自分で書評や読書感想を書くなんてありえないからしょうがない、と思っていたけれど、今これを書きながら、ギャグでもパスティーシュ風でも、彼自身の作品に彼が書いた書評や読書感想を、やはり読みたかったかも、という風に気持ちが変わっていることに気づいた。

 でもそんな作品は品がない、ということにもなるだろうか。

 その人に感じるある種の品も好きだったことは確かだから、品なくていい、とは当時は思えていなかったということだ。今は、そんな自分の品縛りも越えてみたい、ということだろう。それが面白くなかったら、私がそこを越えられていないために面白く感じられないだけかもしれないことを棚にあげ、「やっぱりそれはないでしょう」ときっと言うのだろうほどに自分は勝手だけれど。もしそうだとしてもそんな私ごときのざれ言、踏んづけて踏んづけて踏んづけて、書いてください。

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 ただ、ポール•アルテ氏やスタニスワフ•レム氏への彼の「表現」を通して、私の世界が変わったように、今は彼がいないということもまた彼の表現なのだとすれば、やはりその表現で、私の世界が変わったこと、変わっていくこと、を知っている。その世界を引き受ける。

 いや、それは「表現」じゃない。表現ととることを私は拒む。ただ、事実なだけだ。

 

まとめてオマージュ記事①から⑧まで

higanzakura109.hatenablog.com