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生命讃歌さえ、小さい  周産期心理臨床セミナ−③

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 心理臨床の研鑽法の一つとして事例を聞く、というのがある。個別事例をききながらそこに普遍性を感じ取り、他のケースに相対するときの感じ方を耕すようなこと。

 講師の方は「周産期心理臨床は状況的に特殊なものではあるけれど、そこにある心理臨床としての普遍性については、ここでの何が普遍かはこちらからは言わない。それぞれが感じていただけたら。」と。 

 一般の心理療法面接において、「誕生」というイメージが賦活されることは往々にしてある。時代の流れ的に見てここ十数年来のケースでは特に。一方、当たり前ではあるが、周産期心理臨床で起こっていることは当然「誕生」であり、ただそれは、生物学的な生命にとどまらない「いのち」の誕生でもあり、親子のつながりの誕生でもあり、周産期精神保健という「場」(ひいては新生児医療現場に留まらず社会システムとしてのそのようなサポート「場」のイメージ ー世界への信頼につながるようなそうしたイメージは、周産期の現場とは直接的には縁のなさそうな一人一人の個人にさえ内包想定されていく可能性をおそらく含むー)の誕生である。鳥肌が立った。

 けれどそうした「誕生」という言葉さえ、そこで起こっていることを事例として聞いた感じを表現するものとしては小さい。生命讃歌さえ、小さい。

 「誕生」という言葉さえ、小さい、と感じたこころの目で、改めて世界を見る。他のケースを見る。

                              

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