Fuji to Higanzakura

料理簡易記録、ときどき、?

残り物シュトーレンティラミス

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年末の頂き物シュトーレン。丸々一つ残っててどうしよう。適当に切って、器に敷いて、コーヒーとラム酒(はオットのロンサカパをこっそり)じゃぶじゃぶかけちゃう。下地ががっつり風味なら、上のクリームは豆乳ヨーグルト水切りでも豆臭さは気にならない。水切り豆乳ヨグルトとはちみつとレモン皮混ぜたものを上に流し、しばらく冷蔵庫放置したらココア粉。

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ロンサカパじゃぶじゃぶがきいてます。もはやデザート顔した甘さ控えめカクテルです。どんと贅沢風味です。車の運転いけません。

夜中にハンニバルマッツ・ミケルセン眺めながらは結構似合う味な気が。

 

2016.11.30 「崩れ」記事まとめ①〜⑨まで

2016.11.30 「崩れ」記事まとめ①〜⑨まで① 「崩れ」 幸田文

 図書館の富士山コーナーにやまほどある富士山関連本の中から「崩れ」を見つけた。10代の頃、幸田露伴の「五重の塔」からの流れで、幸田文の諸作 品にいき、随分と惹かれて「みそっかす」「父こんなこと」「おとうと」「流れ」などを読み進めた。「崩れ」にいたったとき、それは、それ以前の自伝的小説 や自伝的随筆とは随分と異なっており、面白さが当時は感じ取れなかったことを思い出した。

 富士山を祀る、周囲に多くある浅間神社の境内に諏訪神社も共にある事が多いのはなぜだろうと本を探しにきたのに、それとはなんの関係もない、この「崩れ」を持ち帰った。

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② 物語でなく、メタファーでなく

 「崩れ」は、70代を過ぎた著者が、有名な山河の崩壊地である大谷崩れを見たことが きっかけで、そのような全国各地の崩壊地−崩れーを見て回って書かれたものだ。富士山の大沢崩れにも訪れて書いていることから、富士山コーナーの本の一つ に収まっていたようだ。ルポルタ−ジュと言ってもいいかもしれない。著者が抱いた、その光景への情感はあるが、自身へと戻って来るような感情はない。自伝 的小説や自伝的随筆とは違う。

 「流れ」という同著者の小説のそのタイトルの「流れ」はメタファーであり、その本の内容は筆者の体験をもと にした小説であり物語だ。一方、「崩れ」は、そのタイトルはメタファーではない。文字通り実際の山河の「崩れ」そのものであり、あくまでも「その実際」 を、「彼女の視点から」書いたものだ。もちろん文学者ということは言えるが、本人も卑下しながら書かれているように、地質学者といったような専門枠組を 持っておらず、その枠組みから「崩れ」をとらえることはできない。程度の差こそあれ、誰しもが持つ、ただ己の感性のみからの視点で書かれている。

 今回は、何かのタイミングが合ったのだろう。もちろん私も地質学のような枠組みのない者だが、自分の富士山の見方が、日本の山河への見方が、読後に変わっていることに気づいた。

「勉 強はできなくても、出掛けていって、目で見てくることは、まだしも私にできることであるし、そしてもし崩壊の感動をつかむことができ、その感動を言葉に 綴って、読んで下さる方に伝えることができたら、それでいいと思う。崩壊は、小さな規模だといわれるものでも、そこで動いたエネルギーは、並々でなく大き いのだし、そんな大きな力の動くところに、感動のない筈はない。その感動はある時はすさまじく、またある時は寂しく哀しいものかもしれない。が、崩壊とい うこの国の背負っている宿命を語る感動を、見て、聞いて、人に伝えることを私は願っている。」(p26)

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  大沢崩れはこちら側からは見えない。富士山のほぼ真西にあるので右側にあるはず。「頂上直下から、標高2200メートル付近まで、長さ2.1キロ、幅 500メートル、深さ150メートルにわたって絶えず岩屑が落下」しているという。この崩れは行く行くは頂上も貫き、富士の形は変貌していく。

 

③ 運命を踏んで立たせていくもの

 中学のとき既に、相談職の心理の仕事をすると定めていた。そのような仕事が実際にあると知っていたわけではないがあるものとの確信感があり、臨床 心理についても何も知らなかったが、自らを振り返って物語っていくことの力を信じていた、という気がする。幸田文の諸作品に嵌っていたのは、そんな中高の 頃だった。

 幸田文さんについて言っているのではなく、「おとうと」という小説の中の登場人物、姉のげん、についてとしてなら、少し言ってもいいだろうか。 

  5感や感性のとても強い子が、親からの愛が薄いまたは愛はあるにせよ、その子にとってはちぐはぐであると、その子の中の何かしらが壊れる。より正確には、ある程度、誰しもにある「壊れ」をうまく引き受けられないままになる、と言った方がいいかもしれない。それは必ずしも 親のせいではないのだけれど。けれど、もちろん気性もあるだろう、またその他の環境や時代的な背景もあって、げんのこころの壊れとしてある欠 落なり空隙は、とてもきれいな硬質な輪郭を持っていて、むしろその欠落故に、その欠落から生まれる物語には凛とした輝きがある。同著者の随筆「みそっか す」に、父、露伴の言葉として「 人には運命を踏んで立つ力があるものだ」と書かれている、まさにそのように。

  10代、臨床心理を志して夢見ていたその頃、このようなあり方を、自分の中の「臨床心理」(という言葉さえも知らなかったが)の理想モデルとしていたと思 う。欠落はあれ自らを物語ることにもよって凛と輝き立つような。当時の自分の状態を、げんのようなこころの状態に類するものとしてなぞらえもしていたし、 自分も、多くの他の場合も、きっとそのようにあれると思っていた。

 作品や表現の持つ力や魅力は多面的なものだ。だから、私が惹かれた幸田 文の諸作品の魅力は上記のようなことだけではない。けれど当時の私は、主に、そのような面に惹かれていたそのためだろう、大地に根をはり、環境によってひ ずんだり歪んだりもするもののそれでも宇宙に向かって立つ各地の巨木を見て歩いて書かれたエッセー「木」についてまでは読めたのだが、その後に書かれてい る、この「崩れ」を、当時の私は読めなかった。

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④ 嘘と美意識

「物語る」という行為には、また、ある感情を「この」生きている場や世界において生生しく感じていくということには、ある種の嘘が必要だ。

 同著者の「おとうと」という小説であれば、読み手側にも通底して迫ってくるのは、「切なさ」という強い感情だが、物語る、ということは、そのような感情が、読み手書き手に共通する場という世界で「生なもの」として生まれ、動きだす、ということでもある。

  このような物語の世界を成立させるためには、そこを語りながらも同時に、言ってはならないこと、言うことができなくなることができていく、と いうことでもある。読み手の側から言えば、この物語の世界に乗って「切なさ」という感情を生きるためには、読み手としてもそこは問わない、そこには蓋をす る、という領域ができていく、と言ってもいい。

 「おとうと」という小説では、同じ親を持つ環境で、同じこころの欠損を持つ者として、姉の げんと弟の碧郎は強い絆で結ばれているが、弟は不良仲間にも加わって身を持ち崩していき、欠損を壊れとして外に体現していく。そして病も発症し、姉のげん に看取られて逝く。以下は一つの例にすぎないけれど。

「同じようなこころの欠けを持ちながら、それを壊れのままに外に顕わしぶつかっていくこともし、誰か大切な人に(この場合は姉である本人のげんだが)こんなにも愛されて死んでいくのは、なぜ私(げん)ではないのか。」

  読み手側の私が、勝手にこのようなことを、もし感じたとしても、それには蓋をすることによって、また蓋をすることによってしか、この小説の「切なさ」とい う感情は生きられない。一方仮に、姉のげんに、そのように痛切な希望があったとしても、弟に向き合い共に生き「おとうと」を物語るということは、③で引用 したように、そのような自分の叶わぬ思いを、そのような自分の「運命を」、「踏んで」その上に「立つ」ということだ。これは私のあげた卑近な思いの例だ が、その他様々な思いも、踏んで生きる土台としていくことが、物語る、ということだ。

 私は最初に、ある種の嘘、という言い方をしたが、こ の世に生きる土台部分(の崩れや欠損)は、眺めもし、感じとって何かしらを思うことはあっても、ことさらには入り込めないであれるようになるというそのこ とは、健全な精神にあるとされる自我強度の顕われ方の一面でもある。ただしそのような自我機能は、精神機能の「発達」により、生物因と環境因が整えばその ように発現するものとされてきたものでもあるが、おそらくそのような形での発現はしていなくても、かなり意図的後天的な美意識のようなものによっても発現 させられる場合もあり、前者は定型発達、後者は非定型発達(の一つの型)、というふうにも言えると思うが、10代の頃の私には、その違いはわからなかっ た。いや、どこかで感じていたようにも思うが、著者のそのような美意識は、生活全般の中での細かな日常の一つ一つの対象にも向けられていて、あたかも物 語ってもいるかのように見えたその動きは、彼女の(美)意識の動き方の一つだっただけなのでは、と今は思えるが、当時は、闇はあってもそれを踏んで光へと 向かうような人の物語を重ねてイメージすることがしにくい、もはや物語ではない「崩れ」という表現作品への移行は、私にはついていけずわからなかったのだ ろう。小説でなく随筆も読んでいたはずだが、著者が、何かと向き合ったときそこで賦活する家族との関係への思い出などが書かれているところを、自分の中で ことさらに物語化させて読むことはしていても、もしかしたらそれよりもより広きにわたって本質的な、著者の、ただ対象(それが「崩れ」であっても)と向き 合う(美)意識などは、感じられていなかったのではないだろうか。

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⑤ 「発達スペクトラム」と「通常の差異」

 京大の研究センターで行われている発達障害への心理療法アプローチを研究するプロジェクトから、その成果として第3冊目の本が出ている。http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=1122  発達障害を対象としたプロジェクトであるが、第3冊目にいたり、テーマは、発達障害とは見立てられないものの、最近出逢うことの多くなってきた、発達に何 らかの脆弱性を抱えていると思われるケースという現象をどうとらえるか、となり、そこから「発達の非定型化」というとらえ方を提唱している本である。

 私は、緻密に知識を集めてそれをもとに論を組み立てることができず、自分の肌感覚の視点からでしかものが言えないのだが、全体的なところを私はこんなふうにとらえているという風にはざっくりと言えることもあるかもしれない。(通じやすいかどうかは置いておいて。)

 以前、ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女⑨ - Fuji to Higanzakuraで、自閉症スペクトラムについて、次のように書いたことがある。”もともとはそれぞれ別々なところからとらえて概念生成されてきた、自閉症アスペルガー症候群には、自閉症的要素が連続体(スペクトラム)としてあるととらえるモデルであって、私がその自閉症スペクトラムという概念を習ったときには、その連続体が健常者まで続くものという考えはそこには含まれていなかったと思うのだが、今、日本語のネット検索のレベルで見ると、自閉症スペクトラムという概念は、健常者と自閉症をわける境は客観的な何かとしてあるわけではない、というとらえ方にまでつなげられていることも多いようだ。だからそのとらえ方は、もともとの「自閉症スペクトラムの概念からすれば、広くとらえ過ぎ、ということではあるのだが、そのような広いとらえ方が、かなり多くの人にとっての主観的な実感覚になりつつあるのだろうとは言えるだろう。” 

  今回のこの本においては、もともと自閉症からアスペルガーまでの「自閉症スペクトラム」に当てはまらない人々を指し示す言葉として用いられ始めたという 「定型発達者」に対し、”このような「定型発達者」とは異なる発達の道筋を持つ者たち、すなわち、「非定型発達者」の発達もまた、単なる発達のバリエー ション、つまり、「通常の差異」であり、それ自体、障害や病理を意味するわけではない”という主張を含んだ「神経多様性運動」という海外でのムーブメント を紹介し、そうした論もあることなども一つの背景に、その他の論も緻密に重ねて、”今日において、心理療法家は、その臨床実践にあたっては、カナー型自閉 症からアスペルガー障害までに至る「自閉症スペクトラム」ではなく、。。。「定型発達」から「非定型発達」までに至る「発達スペクトラム」の中に自らのク ライエントをまずもって位置づける必要に迫られている”と述べられている。

 上記で、私がネット内で見かけていた健常者と自閉症をわける客観的な何かはないという最近の多くの人が主観的にもっているであろう感覚は、専門の臨床現場において「発達スペクトラム」と提唱されだしているようなもの、と言えるだろう。(正確には少し違うが。⑧で述べる。)カナー型自閉症ほどの極端な「非定型」性ではなない、間のグレーゾーン全体での位置づけの差異は、その考え方を支えうる背景の一つにもなっている神経多様性の考え方において言うならば、「通常の差異」ということになる。

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⑥ 回転木馬の盤上で共に遊ぶは

 以前の記事「赤を想う」「赤を想う」記事まとめ ①〜⑧まで - Fuji to Higanzakura

で、 昨今のケースにおいて、クライエントさん側に、クライエントさんの主体という概念を想定しつづけていくことが実は苦手だ、ということを書いた。そこには 「主体のありなし」という特性を、クライエントさん側のみの要素としてとらえるスタンスが実は苦手だ、という含みもあり、なぜならクライエントさんの呈す るそのような特性は、「発達」障害や、「発達」障害的(「発達」スペクトラム内の「発達」障害よりの側)という、一見クライエントさんという1個体が独立に 抱え持つ生物学的レベルでの要因をも思わせる「発達」という言葉でとらえてはいても、その特性はクライエントさんをとりまく世界(土地、歴史、社会、文 化、家族)といったものと独立ではなく、セラピーではそうした世界を体現することになるセラピストととも独立のものではないからだ。

 そう いう点で、今回出た⑤の本についても、まず帯を見て「発達に何らかの脆弱性を抱えたクライエント」というとらえ方に、胸がぎゅっとなるような思いを持った のだが、それはある意味で、「発達」という語の一般に持たれているようなイメージの強さとどう取り組んでいいのかを、ずっと負け戦のような思いで模索して いる中で、「発達に何らかの脆弱性を抱えたクライエント」というこのような表現も、クライエントさんの個体のみに病理を固着させてしまいやすい表現なので はないかと、早合点してしまったからだ。

 しかし、この本では、精神病理の時代的変遷をも丁寧にたどることで、学術的に淡々と、しかし一般 感覚からすれば鳥肌ものにドラスティックに「発達」という概念のとらえ直しが行われており、「発達」という語の一般イメージとは異なって、そこでは、「発 達」のあり方というものも、文化や時代の変遷と独立ではありえないものなのだ、と規定される。

 私たちは、同時代という同じメリーゴーラン ドの円盤上に共にのっているために、「発達」障害にしろ、「発達」になんらかの脆弱性があり発達障害的に見える何かにしろ、それが「クライエントさん個人 が持つ」病理に一見見えやすくなっているのだ、ということにおそらくもっと意識的になっていい、ということを改めて感じさせてくれる論だった。

  そこに意識的になるというのは、治療者がメリーゴーランドから降りることではないしそれはできないことだ。ただ、その同じ円盤上にいるのだ、ということを 知っていて意識的であれれば、それぞれの発達のあり方の違いは「通常の差異」としてとらえてお互いに関わり合える、という考え方になりえるのではないか。

  そしてそれは、普通の感覚的には、実はとても「反」自然な感覚だ。発達障害または発達障害的であることに本人や周囲が困惑しているというのは、本人にしろ 周囲にしろ「この時代(メリーゴーランド)の病理」の害を自分は大きく被っている、という感じ方、つまり困っているのは自分のせいではない、という感じ方 だが、それは自分の足許のメリーゴーランドの盤に根ざした自然でもっともな感じ方だ。携わっていく代表病理が発達障害の時代になって、クライエントさん (やそもそも一般的な人も)は、自分を振り返ることをしなくなった、ということが言われてきたが、自らを非発達障害的と感じている者にとっては、自分の困 惑や不快は発達障害的な人たちのせいであり、発達障害的な人にしてみれば、自分の困惑は時代のせいであり自分のまわりの環境や理解のない他者のせいだ。今や、自らは 非発達障害者とみなして発達障害的な人の特性を断じるあり方自体も発達障害的あり方でもあるので、もはや一律、自分の困惑や不快や生きにくさは、時代のせ いであり自分のまわりの環境や他者のせい、と言っていい。そのような感じ方が、この時代においての「自然な」感じ方だ。確かに、幸せに生きていく上でそれ は損か得か、その感じ方には愛情があるのかないのか、とは別のものだが、自分にとっての自然な感覚であり、自身の状況の中で論理的に考えたら「まちがって いる」ということにもそれは決してならない。もしその感じ方を「まちがっている」と言われているように感じたら、自分にそう言っているように感じさせた人 こそが、他者(自分)とコミュニケーションもとれない、愛情のない人、と断じることさえできるので、どこにも破綻のない完全な感じ方と言 えるだろう。

  今の時代にあっては、このような感じ方こそが、この時代に広く普遍的な自然な流れだ、ということを前提としてみれば、自分の感じ方に得られるはずの理解を示されず場を共有できそうにない他者がもしいたならば、自分以外のそういう他者たちは、(自分にとっての)この時代の論理で成立しているはずの世界の中にはいないはず、いるべきでないはずの人なのに、という感じ方までもが、自然な流れということになるだろう。(実際には、そのようなもっともで自然な感じ方をしていればしているほど、そうした他者と出逢ってしまう、ということになるのが苦しく切なく面白いところで、この時代の魂の動き、のようなものとして感じているけれど。)

  いないはずの人、この状況でいるべきではない人、そうあるべきではない人、と感じられる人に出逢ってしまったとき、その感じ方自体はとても自然なものであ り、考え方としてのそのプロセスにはおそらく間違いもない。それなのに、目の前にそういう人が事実としている、というその事実を受け入れると き「自明自然に広く普遍的な論理体系」と感じ信じてきたことを、「自分自身の」論理体系や価値観、ということとして( )に入れ直さなければいけない。こ れは本当に、どれほどの反自然的感覚の転回を要することなのか、と時に茫然としたりする。ちなみに心理学的に言えば、そこで、相手が間違っているから相手を切り捨てていい(または自分が引き蘢る意外に仕様がない)、というのではなく、「自分は(自分の気持ちや 大事にしたいところと相容れない)この人たちとはいたくない」という「自身の」「感覚や気持ち」として、そのような思いを持てるのであれば、否定的に見える思いで あっても、「自分の」思いとしてそのように思えることは望ましいことであり、またそのような自分の思いにも従って生きられることを(一般見地的には否定的に見えるような生き方であってさえ)私たちは願い支えようとするものでもある。

 またもし、そんな相手とも、この人といたくない、ではなく、対話もし相手を知りたいともなったら、相手が病的なのでもなく 自分が病的なのでもなく、相手と自分との断絶を、彼我の違いとして「通常の差異」 としてとらえなおしていくことが必要になる。この場合、感覚的には反自然であるだけに、双方に必要な共通土台の知的共有が必要という点からのアプローチな のが、臨床心理からの出発点ではないが西條剛央氏が体系化してきた構造構成主義と広い分野におけるその応用実践なのではないか、ということなども思ったり している。心理療法の場面では、実際には、セラピストークライエント間において、必要な共通土台の知的共有というのは難しい。ただ、子どもの場合は、目の 前に変な人が「いる」という「事実」を受け入れてくれやすかったりする。⑤の京大本、子どもの事例ものっています。大人の場合も、同 様と言えば同様で、自分自身をその場に晒して、異質なものに出逢っていただく、ようなことをしているのだと思う。

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メリーゴーランドもありそうだけれど。ここのジェットコースター、富士型になっていたとは知らなかった。

 

⑦「自身の」「発達のあり方」を

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 この本では、 また、”現代の日本の普通の人たち、特に若い世代の人たちは、発達障害的なライフスタイルを選択する傾向があるように思える。 。。 これは彼ら のライフスタイルであり、精神病理でも心理学的な問題でもない。 。。現代の日本においては、巷にいる普通の人たちも患者たちもともに、神経症的であるこ とではなく、発達障害的であることを選ぶようになった’’、とも述べられている。

 発達障害的な現象の中には、このように精神病理でも心 理 学的な問題でもないあり方もあるというその点からも、私は、クライエントさんに、発達障害的であるという「病理」を帰させるあり方にずっとためらいがあっ たのだが、今回のこの本を読んで、(決してこの本の意図ではないだろうが)こうした自分の悩みに、悩むだけの土台があることを感じることもできた。

  そうしてふわりと少し楽になった分のエネルギーで、改めて、発達障害的であることに葛藤を持つことなく精神病理でも心理学的な問題でもなしにそれを生きる こともできるような”「発達障害」が今日の「モード」”ともなっている今の世の中にあって、それでもなんらかの困難や生きにくさ、どうにかな らないかな、という感じもあって心理療法につながるまでの付置を得ている人というのはなんなのだろう、という、どこか当たり前のことを思った。

 ” 非定型発達の定型化ー「モード」としての「発達障害」ー”というこの論の視点には、非定型発達型として「発達障害的」であることが、もはや「この時代の発 達のあり方」ともなってい る、という見方が含まれる。こうした時代の中にあるにもかかわらず、発達障害的な様相を問題として、心理療法とつながるということは、どういうことなの か。それは、今や時代の中にがっちりと組み込まれてしまっている、この時代のカリカチュアにもなっているような「発達」のあり方(発達障害的なあり方)を 生きるのではなく、「自分自身の」「発達のあり方」を見い出し遂げて行くという課題を負った人たちと言えるのではないだろうか。

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 「沈没しそうな富士山」というイメージ画を書いた子の事例も本にはのっていた。ほんとにそうなんだよ。大丈夫。すごいね。

 

⑧ 『私の発達』とは。その人の中で「私」という主体概念が発達すること、とするのを保留にし、「自身の」「発達のあり方」を見いだし遂げること、と考える。

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  もちろん心理療法にかかわらずとも、表現を通して(生きることを通して)「自分自身の」「発達のありかた」を見いだしていく人たちも沢山いるだろう。おそ らく今改めて魅力的だ、と見直されるような人たちは、そういう視点からとらえなおすこともできるのではないだろうか。伊豆の長八さん然り伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦ - Fuji to Higanzakura山口晃氏が「ヘンな日本美術史」の中で取り上げている河鍋暁斎等の画家さん然り。今「崩れ」を読みながら、幸田文さんも。

 ところで⑤の本でとりあげている「発達スペクトラム」という考えは、定型発達と非定型発達とを連続させている軸であるが、定型発達だから健常で、非定型発達だから病理、というものではない。(⑤の私の説明だとそのようなニュアンスにとれると思うがそうではない。)確かに非定型発達の極はカナー型自閉症と言えると思うが、定型発達側の中には、過去に多かった神経症はもちろんだが、ある意味では統合失調症も入るということか、というふうにも私には読めた。

 発達障害以前の、定型発達を前提とした病理では、物語るという表現行為が治癒力としてもとても大きな意味を持っていた。統合失調症の場合は、表現象徴の力が強すぎて物語ってもらうと、精神や肉体が物理的に耐えられないことも多いとされているが。その領域ぎりぎりをかすめていたり行きつ戻りつするといったティピカルなアーティスト像をイメージするとわかりやすいかもしれない。)発 達障害の時代になって、自分を振り返っての「物語りになっていかない」という現象に向き合うことになったのだが、わたしたちは、物語りを大切なものとして きた心理療法アイデンティティーも賭けて『「物語にならない」という「物語」』を、発達障害という現象に充ててきた面も あるかもしれない。京大の、発達障害への心理療法的アプローチという研究プロジェクトから出ている先行の本2冊http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11222 http://www.sogensha.co.jp/booklist.php?act=details&ISBN_5=11226  では、発達障害の特徴を、自分を振り返って物語れるような「主体」を想定できない「主体のなさ」ととらえる視点が前面に出されており、そこから「主体の誕生」を目指す心理療法が提唱されてきた。自分を賭けて試行錯誤し ながら行われている心理療法の現場実践や事例提示、またその現場の振り返りから「主体のなさ」「主体の誕生」という考察モデルを経て、そのことによってま た発達障害心理療法が支えられてきたことには言い尽くせないリスペクトを持っている。それだけに、「主体のなさ」→「主体の誕生」というとらえ方に、ま た今回の本でも「主体の脆弱性」→「主体の強化」というとらえ方がやはり読み取れるが、そのようなとらえ方に多くの妥当性を感じつつ、過去の「赤を想 う」記事でも少し触れたが、主体という言葉に縛られてその妥当性を理解しようとするほどに苦しくなる自分を責めてもきた。

 今それについて は、⑦で書いたように、『時代や環境と結びついてある今日的な「発達のあり方」をただモードとして漫然と生きるのでなく、そこがその人の「発達の問題」であるかのように顕われ自身に引き受けることになった者が、今日的なあり方を超えた「自身の」発達のあり方を見いだし遂げ ていく』、というふうに私はとらえなおしている。(『』内の「発達」部分を「表現」と置き換えることもできる。「主体」に置き換えることは今のところ自 分はできないわけだが、あえてしなくても、しないままでもいけるのではないかな、と思い出している。)

 そう考えると、心理療法という場に限らずとも、自身の発 達(or 自身の表現)を見いだし続けていったと思える人や作品に気づくとき、鑑賞側もまた自分自身の発達や表現に対しての何らかの視座を得たりするのではないだろ うか。こう書くと、ちょっと固すぎるけれど。幸田文「崩れ」については、今回、ただふっと「ああ、そうだった」というような、快や緩みを、もたらしてくれたようなものだから。言葉で自身の何かを表現するにあたっては、物語という形式圧力がおそらくまだ強かったであろう時代に、既に山河の「崩れ」という現実そのものに 惹かれ、見にも行き、ただそれを前にして自身が感じることをただ書いた。崩れを見たときの自分の情感は書かれているが、その情感は著者の「私の情感」なの であって、目の前の「崩れ」が、何か普遍性のある象徴になってしまうことはない。(②で引用したような、「日本の崩壊という宿命」というような表現を使っていてさえ、 それは「崩れ」が象徴しているものではなく、「崩れ」「崩れ」のままに見せている大きなエネルギーへの感動表現としての彼女の情感であるように私には思 える。)

 そんな「崩れ」にちゃんと出逢えた気になれるのに私は30年かかったけれど。読んで、今見る機会の多い富士山への見方がただ変わる。30年かかったことさえ含めてそのことを、ただ幸せだと思う。

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⑨ ただ母子的なまなざしの中でだけ

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  随筆「しつけ帖」(幸田文)の、著者の娘さんである青木玉さんによる後書きが印象的だった。母(幸田文)の子どもの頃についての随筆は、子ども時代の母が抱えていた 思いに、胸がいっぱいになり涙がこぼれそうになるという。母は分筆を業とするようになっても、今ひとつ思い通りではないらしく、ものを書くのは好まないよ うだったこと。仕事をしあげる度に体調をくずすこともよくあったこと。生涯を通して、大変だったなと思うことの連続で、自身の選択の及ばないことが殆ど だったこと。避け難い苦労の数々に母はよくもめげずに切り抜けたが、娘としては、どうも割りに合わない気がして残念だったこと。ただ晩年、仕事を通して世 界を拡げ、好きな樹木の見て歩きをし、山河の崩れの現場を訪ねることなどにより、多くの方々との交換があったことは仕合わせだったろうと心緩む、と書かれ ていた。

 自分自身の発達のあり方を、自ら求めようとするとき、定型発達者が示す物語的表現、非定型発達者が示す非物語的(ではあるもののやはり)表現、というよう な括りはもはやおそらくナンセンスになるのかもしれず、ある程度本人の意識の働かせ方次第、また表現の鍛え方次第で、どちらの表現も試みられるのだろうし、どちらの表現にもある程度 柔らかに反応できたりするようになるのだろうと思い出している。それでも、その上で、自分の発達のあり方ができて一致して、仕合わせを感じられる自分の生き方や表現はどこら辺かを、もし生きている間に体現し得られたならば、心緩む。その心緩むような領域は、生きている間には得られない場合もありうる、ということをずっと感じ続けていくような作業かもしれないけれど。それでも怖がらず自身の発達のあり方を求める。そ うしていくうちに、他者から見てさえ幸せそうな状態にも、いつかどこかで出逢えるかもしれない。保証のないそのプロセスを引き受けられるか。

 そのよう なプロセスの順番は、今の時代、もし引き受けることになったなら、そういうことになっている、としか言えない。ただそれは、今は唯一、母子的な暖かいまなざしから見たときにだけ、プロセスの 順番が違うのだ。生まれて来た幸せ感を土台にして発達していくのではない順番は。そのことを、玉さんは、涙が出そうになる、とか、娘としては、晩年の 「木」と「崩れ」まで母の人生は割に合わない気がして心残る思いで見て来た、と言っているのだろう。

 けれど、そのプロセスの逆順を自身のプロセス順として引き受ける者、引き受けるしかない者がいる。

 そういう存在に気づいたとき、程度の差こそあれ、得てして気づいた者自身もそうなっていたりするのだけれど。そうあれかしという希望かもしれないけれど。

 

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落葉前もみじの上に雪積もり

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残雪上にもみじ降る

2016.12.28「織物•表現」記事まとめ (1)〜(5)まで

(1)頭でっかちさんを織る

 ふわりとセンスのいいセラピストさんというのが草の根的に沢山いるのであったらいい。実際そうなのだろう。勉強会などでは事例を検討したりするが、最近、セラピーの感じを織物に例えるイメージを聞いた。セラピーをしていて織物のイメージが浮かぶと。

  「主体」や「人格」といったとらえ方、それはある意味で自身の心理学アイデンティティーの土台めいたとらえ方だが、これまでのHiganzakura視点 でも書いて来たが、私はそれらを一度否定もし、必ずしも心理学枠内ではないこのような場も借りて、Higanzakura視点記事を自ら書いてみる事にも より、ようやく少し「表現」というとらえ方に腰がすわってきた気もするが。一方で、そんなぐるぐるはせず、セラピーをしていておそらく必要だからというた だそれだけの感覚で、そこら辺を自然な流れでふわっと既にやっているセラピストさんたちがいる。セラピー実践をつづけている、ということの根にある感覚な のかもしれない。そのような大事な感覚は、今のところ多分現場感覚であって、「学」の言葉としては浮上していない何かであることが多いのが残念なのだけれ ど。私なんぞの頭でっかちはおかげさまでこうして遠回りになるが、でも私に負けず劣らずに頭でっかちなクライエントさんというのもいるし、多くは実際には 心理療法なんて受けずに耳学なり本なりで様子を知る(つもりになるしかない)わけだから、社会のマス的の流れは基本的には私のように頭でっかちになるわけ で、セラピーに関わる私自身がそれで行き詰まって、底なしの底を見続けて自分なりに言葉?(通じやすいものではないにせよ)にしてつづっていることは、頭 でっかちさんへのセーフティーネットに少しはなったりはしないだろうか、と思うことにもしてみたり。

 話しはもどって、織物イメージというのも、つまりある「表現」の場として、セラピーをとらえているということだと私は思った。

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(2)機能でなく、意味でなく、あるもの

 話しを聞いている と、セラピーについて、織物の「織り」の凹凸や奥行き感のようなものも含めて光や角度も変わったりしながら織りをとらえているような感じだという。ジャ ガードやタピストリーの「柄」がふわっと見えてくるようなときもあるけれど、柄の一つ一つを近くで見ようとしても何かはわからない。けれど、ああ、こんな 織物なのか、と感じられた感覚のもとでは、例えば、形としてはほころび てしまっていることなどは、それほど重要にはならない、というそんなセラピストのまなざしは温かいと思った。ほころびている織物は、何に使うか、などの 「機能」で見たならば、ある機能 としては、破綻しているところがあるということになるだろうが、ただ、そこにあると感じられる織物を、織物の存在のままに、その質感を、織りの柄を、凹凸 の陰影を、紬のようなでこぼこを、共に味わっている、そんなセラピー場となっている、ということだ。

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(3)

 セラピストとは別個のクライエントさんの存在のあり方を、織物に例えている、というのとは少し違う。セラピストとクライエントさんとで作られるセ ラピー場で表現されるものを、織物のように(セラピストが)感じている、ということ。さらに言えば、セラピストの介入の言葉などだって、織りの際の横糸の ようなものかも、とも感じられるのだから、織物イメージをセラピストとは独立の「クライエントさん個人」の象徴としてとらえているのとも少し違う。

  箱庭療法を日本の心理臨床の場にとりいれた故河合隼雄氏は、箱庭を「治療者と被治療者との人間関係を母体として生み出された一つの表現」と言ったが、セラ ピーの中で意図的に製作される具体的な箱庭だけではなく、そもそもセラピーの場に生成されていること自体全てが、既にそのようなセラピー関係を母体とした 「表現」なのだ、と考えると少しわかりやすいかもしれない。

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(4)言葉や理解では受肉されないもの。その受肉。

 セラピーを通して落ち着いてこられても、例えば近しい家族などに対しての恨みや嘆きといったネガティブな思いは消えないことは往々にある。そうい う実際は、一般の人が思うセラピーイメージとは異なるのではないかと思う。そのようなネガティブな思いに支配されて日常生活にも支障があるというような主 訴だったりすれば、そのような思いが癒されることを願ってセラピーを受けにくるとも、一般には思われているのではないかと思うからだが、日常が落ち着いて きても、そのようにはならないことも多い。

 例えば親などの、近しい人にネガティブな思いを抱くことになった経緯や状況を聞くと同情を禁じ 得ないことは多い。ただセラピスト自身も「(感性のあるまともな)人であるならば」感じるだろうとされるような共感的世界だけが、自分の心の世界の全てで はない、ということを知っていく過程というのもある。繰り返される恨みや嘆きに、こちらの感性や感覚や意識が、共感という形ではついていかずブラックアウ トするようなことがある。

 自分の癒えないままの傷つきは、セラピストにも同情共感されないというさらなる傷つきになって、クライエントさ んは重ねて傷つきそうなものだが、セラピスト自身が、自分の心に、感じるだろうはずの共感世界だけではない世界があることを無視せず認めている場合だろう か、必ずしもクライエントさんは傷つき雪だるまにはならない。そんな連鎖は起こらなくなるけれど、近しい人へのネガティブな思いが消えるわけでもない。

  このようなとき、生活も落ち着いてなお、恨みや嘆きの思いを表現し続けていることを、クライエントさんの人格構造やある種の発達の偏りとして解釈したくな る気持ちも動くものだが、その人なりの生活行動原理もでき落ち着いてもきた今、そのような解釈は果たして有用なのか、という問いも同時に立つ、そんなとこ ろにセラピストは居続けることになる。このような状態になると、往々にしてなんらかの形で、合意による終結ということが具現化することが多いように思う。

  そしてこのようなケースに織物イメージを持ったセラピストのセンスにのって、長きに渡ったケース全体を、大きなタピストリーのような織物としてとらえて見 る。それは確かに、ほころびてもいるが、感慨深くも見入るような、距離をとって前にたちながら視線は引き込まれていくような、そんな魅力的なタピストリー だ。時々思い出したように、延々変わりなく続いたネガティヴな思いは、それに対し共感でもなく解釈でもなくあるしかなかったセラピスト自身までをも含め、 もしそんなネガティブな思いがきれいになくなっていたとしたら、こんなふうに思えるタピストリーではなく、随分と面白みにかけるタピストリーなのではない か。「表現の深みということか?」と問われたら、「そうだ」と私は言うだろう。

 あたかも崇高なアートのように、見る人の理解や解釈が及ばない超越的なところがある、というのとは違うが、対話も共感も成立しなかった何かは、タピストリーを構成している何かにはなっていて「受肉」されているように思えた。

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(5)心理学パラダイムを、「私」のパラダイムにして、心理学パラダイム以外の「他(パラダイム)」もあることを前提にするための方法を考える。

 クライエントさんと織物というイメージを共有したわけではない。あくまでセラピスト側がそのようなイメージ感覚を持っていた、ということだ。織物 イメージをセラピストが抱えている、ということはどういうことか、という点はわかりにくいことかもしれないが、例えば、クライエントさんについて、人格構 造とか発達の偏りという「見立て」をしていても、それはセラピストの中で抱えていてクライエントさんに伝えないことも多い。受け止める構えを大きくとるこ とと、その一方で自分のとらえ方はあくまで自分の中での仮のとらえ方と自覚して固定させず他の可能性に開いてあるためにそのようになるのだが、セラピスト が抱えているそうした「見立て」のようなものが、「織物」イメージになっている、ということだ。クライエントさんの、セラピー世界でのあり方を、ある種の病理として見るよりも「表現」として見る、というセラピスト側のスタンス、とも言える。

 私は(1)で、時代の流れなどの中で、実際のセラ ピーに対峙しているセラピスト側の底にあるこうしたセンスは、必ずしも「学」の言葉になっていない、と書いたけれど。。。感覚を素直にして学会誌を繰って いたりすると、そのようなものにも出逢うことはある。ほぼ同期の同僚の中にも、こころや感覚を総動員してセラピーの中で使っているそのようなセンス部分を こそ、個人のセンスに終わらせず、心理臨床の「学」の言葉にしようと論文を書いているものもいる。

 私たち心理系のセラピストは、心理学パ ラダイムの中での言葉を使い、そのパラダイムでの認知でセラピーを生きる。セラピーを受けにくるということは、クライエントさんも、そのパラダイム世界を 生きるという契約であるという面はあり、そのような契約感覚が強固に共有されているときは、治療抵抗は解釈によって破られるとされてきた、と言えるだろ う。けれど実際には、こちらのパラダイムと、あちらの異なるパラダイムとの出逢い、という面はあるのだ。異なるパラダイムの出逢いによっておそらく双方共、時に、感覚や認識のブラックアウトもしながら、「落としどころ」を探っていくような作業だ。そのようなセラピー感覚の意識をやはり持っていて、時代のあり方、心理臨床というものの歴史変遷も含めて考察し、ケースを振り返っていると思える論文などもあって、とても興味深かった。

 私が今「表現」というとらえ方を重視しているのも、自分が根ともしてきた現代の心理学パラダイムを、相対的に自覚しようとするところから来る、「落としどころ」(可能性ともいう)なのだろう。

 織物イメージと、読んだその論文とをつないでもう少し書いてみたいけれど。。。今回はこのくらい。

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2016.12.08「WG展」記事まとめ ①〜⑤まで

① コンセプトの中にトプンと入る 出てくる時は別の人

 「ゴッホゴーギャン展」と記事タイトルに書く気になれなかった。クラーナハは好き。ヤンファンエイクも好き。好きと天衣無縫に言い切れないとタ イトルには自分は書けないのかしらん。ゴッホの絵は、自分も見て気持ちいいと思えるものは沢山ある。心動くものも沢山ある。今回の「ゴーギャンの椅子」の ように泣きたくなるくらいのものさえある。けれど自分のその感じを「好き」とは自分は言わないみたいだ。ゴーギャンは、今回初めて見たハムの絵は好き。他 のものは、今までも少しは見る機会があったけれど、自分にはゴーギャンの絵から何かを感じるヒダがないのだ、そんなヒダを欲しいともとりたてて別に思わな いとずっと思っていた気がするが、今回の企画展コンセプトの中に身を委ねて入って見ていけば、他の絵についても自ずと何かは感じてしまうようになってい た。こういう企画をたて、アレンジし、文を作り、配置を考えるのは、学芸員さん?なのだろうか。すごい。鳥肌。

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 最 後ミュージアムショップ横にあったガチャガチャを、連れに唆されてやってみたり。チケットを2枚もらったと誘われた。忙しい人なので珍しい。BLも読まれ る年期の入った貴腐人。「ゴッホゴーギャンのこと何か知ってたの?」と聞いたら「いや全然知りませんでした」。嘘つき。

 

② ザワザワするならば

 Fuji to Higanzakuraで書いてきたHiganzakurai視点記事は、発達障害関係の現象と関連させながらも、発達障害とは独立のこととしても言える何かをずっと一応目指している。常に意識しているわけではないけれど。

それは、今のところ振り返れば、

異質な他者との出逢いも通して、自身の「発達のあり方」(or「表現のあり方」)を求め引き受け実践していくこと、

であり、

「自分の中の何かを物語るという表現」と「自身に見えたままの表現」との違い、断絶、交差について、

などだ。

ゴッホゴーギャンという異質同士の強烈な出逢いと、その中での、またそれを経ての、それぞれの表現を展示しているともいえる本企画。説明によれば、自分の中の物語を描くゴーギャン、自分に見えたものを描くゴッホ

それぞれが描いた肘掛け椅子の絵に、色々思う。

そしてどうやら私は私自身に対して今怒っている?かもしれない。

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ガチャガチャカプセルの中身はゴーギャンの椅子だった。

 

③ ザワザワを見ていく

 私は先に書いた「崩れ」という記事で、異質な他者と出逢うことも通して、「自身の」発達や表現を求めていくことについてを書き、その最後では、

”そのプロセスを、胸をつまらせながら、見守っていく。いや、もし共にいる光栄を得られたら、感動と共に見つめ見させていただく。ただそれだけだ。”

と 書いた。ついこの間のことだ。この自分の言葉通りとすれば、ゴッホゴーギャンは異質な者同士として出逢って分かれ、それぞれの表現のあり方をそのような 出逢いを通して深め、ゴーギャンも言っているように、その幾分かは実を結んだと言え、それぞれが描いた肘掛け椅子の絵には、相手へのリスペクトや愛や受容 やらありながらも、それでもそれがそれぞれ別個の表現でもあることに感動もしながら、私は一連のその表現プロセスを胸をつまらせて見させていただく、でき るのはただだそれだけだ、ということになる。実際、本展覧会順路の流れの中で自分がしたのはまさにそれだ。

 ただついこのあいだ、「崩れ」 を書きながら思っていたこと感じていたことと、この展覧会コンセプトの類似性の付置に、やはりそういうものなのだ、そのように表現はできていくものなの だ、と重ねて納得して達観できるのか?していいのか?という自分への怒りめいたものも同時にあがってきた。

 見て、気持ち良くも思い、心動 かされもする。そのような絵自体に納得しないわけではない。そもそも絵は、私のちっぽけな「納得できるかどうか」など軽々超えている。そこは手放す。でも こうした表現(絵)ができあがっていくプロセスに、「生身の二人」がそれぞれ行き着いていったところへのプロセスに、それは表現に伴うプロセスで、そういうものなのだから必要でしょうがないのだ、と納得して達観はしたくないらしいしできないみたいだ。

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日本好き、浮き世絵好きゴッホが、日本の自然を、ハリモミの黄色をl描いているパラレルワールドを想う。 

 

④ 光を、希望などにはしない。それでも光は光。

ゴーギャンは、遠く離れたタヒチに行った。ゴッホは、あんなにも日本に憧れながら、一人日本に行くことはわずかたりとも夢見はしなかったのだろうか。お金のあるなしはさておき。

  昔、毎度のごとく家人にひきずられてゴッホ美術館に行き、それまでは興味もなかったゴッホだが、大量の作品をずっと見るうちに、確かに絵をみながら何かが心動くようになった。けれどそこで、ゴッホが 南仏のアルルに移り住んだときに、アルルの光は憧れの日本の光のようだ、と喜んでいたということを知って、正直随分勘違いな人だ、とも思った。私は、あち らに滞在中、最後の3、4年は今振り返ると、具合が色々と悪かった。その時期がなければまるで思わなかったろうが、ベルギー、オランダ、北ドイツあたりの 暗さが骨の髄にまで沁みこんでこたえたとき、南仏と、今暮らす日本のこの地での光を、同じように感じるチャンネルが今の自分にはある。ゴッホは、浮き世絵からでしか日本の光は知らなかったにせよ、南仏と日本の光の重ね見は、それほど頓狂ではない。もしくは私が色々なおかげさまで少々頓狂になったかだ。ゴッホにとっては(ゴッホ以外の者にとっても)、きっと繋がる何かが、同じ何かがあるのだろう、と今は思える。

  今の時代の、凄腕のコーチングの方だったら、日本への憧れの思いを、現実的に無理だからと蓋をせずに、引き出して日本に行くことさえ現実化されたりしてしまうようなこともありえるだろうか。セラピーよりコーチングの方が強力に思いを現実化させていくイメージがあるが、現実化を目的としないのであれば、セラピーでも、日本への憧れ などについて、改めて気づきなおしたり温めたりというのは、することではあるだろう。こちらから言う言わないはわからないけれど。

 発達障害的な現象に私(たち)はきゅうきゅ うとしすぎただろうか。セラピストークライエント関係は、常に、ゴッホゴーギャン的 なものとばかりではないはずなのだけれど。ここ10年以上、そんなふうにばかり感じてきていたような気がする。確かに、そのような関係性へとどんどん嵌っ ていくとき、それは意図してのものではない。そうなったら、どんなに胸が痛もうと、「表現」のプロセスと信じるしかできないのだけれど、展開しているその 現実とは異なるパラレルワールドは、どこにもないものとしてしまわなければいけないものでもない。

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雪まで降った今となっては、もう随分昔の写真。こんな黄色の光も好きかな。

 

⑤ 。。。。。

 ゴッホのサン=レミ精神病院入院時代の傑作群も残るこの現実世界を、ゴッホの(またもしかしたら自分も含め鑑賞する人それぞれの)引き裂かれた半身のようにも、愛おしむ。

  一方で。ゴッホの亡くなった年は、日本は明治23年。明治も20年余ともなれば、日本も、取り入れてきた西洋文化の影響で、ゴッホが憧れていたような日本の絵の流れも表からは既に埋もれてしまっていたかもしれないけれど。ゴッホが日本に来て、そんな生き埋め状態に一見なっていつつも江戸からの流れも自分の中でつなぎつつしたたかに表現し続けている絵師さんらに出逢って化学反応、今あるような日本の美術史の流れもぐわーっとかわったものになっちゃいました、みたいな荒唐無稽なファンタジー小説か漫画、誰かかいてくれたら、読みます。

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2016.11.19 「赤を想う」追記 「クラーナハ展」記事まとめ①〜③まで

①「萌え」でくくりたくはない記号的なエロスという矛盾

 

 旅先で大きな美術館は、沢山歩かないといけないしで決してウキウキとは行かなかった。たいてい家人に引きずられ。もうひたすらに大きな大きな美術 館で、気になる絵、気になる絵、幾つもが同じ画家さんの名前だった。Lucas Cranach。ルーカス•クラナッハと覚えて帰ってきた。今回上野に来た。クラーナハになっている。覚え直せるかしら。

 以前、大きな部屋部屋に500年前のほぼ同時代の絵に混ざって飾られている中にあって、その名の人の絵は、どこか記号チックなエロスが、とてもモダンで異彩を放って異端に見えた。

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② クラーナハがいなかったらルターは?

 

 上野にクラーナハの絵がまとまって来ているらしい。なぜだか長時間いてしまった松崎町図書館の雑誌コーナーで知る。

 以前見た絵と場所の印象と、画家さんの名前を覚えていただけ。他の人の絵と比べず直接まとめて見たら何か改めて思うだろうか、と一人で上野に行ってみたけれど、何か書けるようなことは何も。好きなのだろうと思うだけ。

  歴史教科書でさんざ見て来た宗教改革者ルターの肖像画を描いていた人とは知らなかった。異端ぽいと思っていたのとは反対に、思いっきりモードな人、というより、その時代のモードを作った側の人のようだ。いや、ルターもはじめは異端だったはずなわけだからして、異端ぽいという感じ方でもいいのかもしれないが、 とにかくルターのプロモートにとんでもなく大きく貢献している。昨今はやりの、ブランディングという言葉を思い浮かんだけれど、あまり考えず気持ちいいと思うということを優先すればいいかな、と。超売れっ子肖像画家さんだったらしいけれど。

こちらのサイトがとてもよくまとまっていて素敵。

500年後の誘惑:日本初、クラナーハの大回顧展

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上野公園ぶらぶら歩き。紅葉の色が柔らかい。

 

③ 表現するものされるもの同じでもあり同じでもなしルビー赤

 

 クラーナハがお抱え絵師として仕えたフリードリッヒ賢明公から授与されたという紋章は、ルビーの指輪をくわえた有翼の蛇。

画像はLucas Cranach the Elder - Wikipediaより

授与されたといっても、デザインはクラーナハ自身が起こしているのだと思うのだけれど。商標的にも使っていたという。

先だって「赤を想う」「赤を想う」記事まとめ ①〜⑧まで - Fuji to Higanzakuraを書いたということもあってだろう、このエムブレムが、ずんと響く。

 クラーナハ展のことは何も書けない、と思ったのだけれど、このエムブレムを載せたいがために。「赤を想う」の補足プチ記事。

 

 

 

 

2016.10.31 伊豆の長八美術館 記事まとめ①〜⑦

① 建物 

 

 家人にひきずられて、伊豆の長八美術館に行く。なんでもかなり以前、テレビドキュメンタリーで、この美術館を設計した有名な設計士さんと、全国 から集まった腕利きの左官職人さんとでこの美術館を作っているときの、ガチなぶつかりっぷりが放映されていて、以来印象にに残っていて来たかったのだとか。

 フランスのロレーヌ地方の中心地メスにある、現代美術館分館http://artscape.jp/mmm/contents/c_00132.htmlに も引きずられて行ったことがあるが、それについても、施行を引き受けた現地の工務店職人さんら(現地ゼネコンというべきか)は、設計図を自分たちの技術で やれる形に改変してつくっていってしまうので、その建物を設計したやはり有名な日本人設計士さんは、現場を見ては「設計図のようにやってください」という 交渉の闘いをひたすらしながら作り上げたんだ、とかいう家人の蘊蓄つきだったから、世の中ではそういうことがわりと多いのか、家人の脳が好みとしてそうい うエピソードを拾ってくるのか。

 建物外観全体を見て何か特別なことを感じられる感性が私にはないが(建築物音痴。実物を見た後で写真を見 ても再認できない)、長八美術館の館内で、階段を上っているときにふと脇を見上げるように視線をあげたら、階段脇の真っ白な漆喰壁の中から、やや肉厚なス テンレス板が刃物のように長く斜めにずずーっと続いて生えており、自分の感覚が、その金属刃の斜め上に伸びる動きと、真っ白漆喰壁からにょっと生え出して いる動きという二方向の動きになって一瞬感覚がうにょんとなった。見ている物自体にエネルギーは感じるけれど、「階段の手すり」という「意味」が抜 け落ちた世界に入っていたらしいと気づいた瞬間に、家人から聞いていたエピソードとリンクして、うひゃひゃと笑いがこみ上げる。連れがいると、相手に理解 不能でも、こういう時「今ね、こんなんでね」と話せるから、見かけ上怪しい人にならずにすんで便利。

 我にかえれば普通の階段手すり。その 手すりを巡って、設計士さんと左官職人さんとでなにか攻防があったろうとも思えない普通の。どちらかというとおそらく1階で長八作品を少し見た後だったか らと考えるのが妥当だろう。建物については特に感性のヒダがツルツルなのだが、ツルツルなりに建物と長八作品とが自分なりに共鳴したらしい体験、というこ とにする。

 帰ってきてから、長八さんの鏝絵(こてえ)が気になってネット探索していてこちらのブログに出逢う。http://makimino.jugem.jp/?month=201304写真も豊富で解説も丁寧でとてもとてもうれしい。4月20日、21日あたりが長八美術館について。左官職人さんと建築士さんとのいきさつものっていた。

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 伊豆の海

 

② 脈々とつないでくれたものに

 

 美術館のある松崎町。なまこ壁の建物が多く残っていると言う。なまこ壁って確か、グレーの壁の地に、盛り上がった白い格子模様がくっついている、よく土蔵とかに使われてるやつだよね、くらいの記憶だったが、あーほんとだ、なまこ壁が沢山

  宿泊した夜中から朝方にかけて台風のような強風で驚く。でも窓から見えた、地元の定食屋さんの裏手に積んである食材用発砲スチロール箱の各山毎に、大きな サイズの洗剤ボトルにおそらく水が入れてある重しがそれぞれのっているのを見て、強い風に慣れている土地かな、と思ったが、やはりhttp://makimino.jugem.jp/?month=201304こちらのブログさんの4月25日の記事に、松崎町のなまこ壁の、壁の上方までそれで覆われているというその独自特徴は、強い風が吹くところ故の火災予防のため、とあって納得する。

  入江長八さんは、この地元で、子どものときにこういったなまこ壁をつくる地元の左官職人に弟子入りし、手先が器用だと認められて、江戸に出て狩野派の絵を 習うことになり、彫刻技術も当時の彫刻職人さんたちを見ながら学習してしまい、本来きれいに平らにならすことをもってして高技術とされた左官職だが、そこ に立体化する技術を持ち込んで、鏝絵(こてえ)というジャンルを創った人ということで、表面的な把握の仕方としてはこんな感じでいいのかな。

  日本美術史的には長く忘れられていたようだけれど、それでも左官「職人」という工芸界の中にあっては長八は神様的扱いであり、また職人枠を越えたところで も、彼の「作品」に普遍的なものがあると感じた自分の感性を信じてこつこつと作品を集め丁寧な目録をつくってきた人などがいて、そうして美術館設立にも既 に随分前に至っており、私が出逢うのはこんな後になってからだが、それでも私などといった本来縁が薄そうなレベルの人までがこうして出逢って何かをグラグ ラしながら感じてそこにいるという流れの中に、日本人(個人的には日本人というより「人」と思っているが)に脈々と続いてあるような何かを想定できそうに 思えてきてうれしい。

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松崎町ぶらぶらしてるとある足湯。ちゃぷん。

 

③ 捻れをほどくもの

 

 漆喰を盛り上げて、壁面にレリ—フで、絵というか図像を浮かび上がらせる鏝絵だが、土蔵壁や、土蔵窓や土蔵扉の内側に描かれているものは、生活の 中に組み入れられている装飾ということになり、長八さんのそれらの多くは活動の本拠地だった江戸東京にあったとのことで、火災等で殆ど残っておらず、現存 する長八作品としては、この美術館にあるような、室内用の「絵」としてのものが結果として多くなっているという。だから、職人としての左官工とその延長に ある生活の中の建物に組み入れられている漆喰装飾という職人軸と、生活の中の意味とは独立した、今で言うところのアート的な「絵」として鏝絵を実践してい る軸と、どちらが彼のメインの軸かはわからない。けれど同じ一人の人がつくっているのだから、そこを分けるのは、他人とか、自身であってさえ時代的なもの に制約を受けた言語認識だったりもする。とにかく少なくとも美術館内の鏝絵を前にすると、漆喰と鏝を用いて立体感を出した絵、ととらえるだけでは収まりき らない、なんなのこのモダン感は、みたいなざわざわが湧いてきて、江戸から跨いで西洋文化がどっと流れこんだ明治期を江戸東京で活躍していたということ が、肌で感じられてくる。3D眼鏡対応の2次元画像を前に3D眼鏡をかけるような操作を、自分の脳がしているような気がしてくる絵。それだけではないけれ ど。見ながらずっと「おかしい、なんかおかしいよ」とつぶやいていしまう。

 家人から、「『よくわからないけどなんかすごい』とあなたは 思っていて、最近の『やばい』という表現とどうも同じらしいことは自分にはわかるが、他の人が聞いたらどう聞こえるかわからないしあまり品もないのでおや めなさい」と諌められ、素直に「はい」と思ったが、長八作品がお好きだとわかる女性職員さんが虫眼鏡を渡してくれて色々教えてくださるときに、「この 方。。。おかしい。。ですよね」と口をすべらせてしまったら、ふふ、と微笑まれて「ええ、実は私も最初、おかしいと思ったんです」と寛大に受け止めてくだ さって、どっと落ち着く。

 私が感じた何かは、大大風呂敷を広げれば日本が(ひいては世界も)抱えている、そして卑屈になれば私自身が抱え ている「捻れ」を、貫くかほどくかできそうかもと思える蠢きみたいなものだ。私は、その「捻れ」部分を、やはり貫くかほどくかすることになりそうなもの (または強化してしまうかもしれないもの)として、「発達障害」や「オタク」という現象も入れているが、できれば強化するよりほどくことを望むのなら、多元的であった方が良い。「おかしい」という表現での感じ方のままだと、長八さんの世界を、自分は「オタク的」というところに入れてしまうことになりそうな 気もする。オタク文化より、長八作品は「アート」という上位層のものだ、ということではない。そういうとらえ方をしていると「捻れ」は強化されると思う。 勘だけど。

 

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 貸してごらんと優しく言われ撮ってくれた写真に「あざとい」とつぶやいて少々機嫌を損ねられる。

 

④ この世的な聖域というパラドックス

 

 オタクという表現には、一つの次元内でバランス感覚として機能する「卑下」が入っている。違う角度から言い換えると、オタクという現象では、卑下 によって、自分が多大な労力を投下している行為の意味が問われない安全な次元が作られている。

  ここでちょっとわざと大上段的に、「表現」というものは、従来的な 生活や文化に役立つことや、時に人や時代からの評価までをも含む「この世的な意味」縛りから独立に、自身の内発的動機からの労力を用いる行為によって、本 人の聖域(美の追求の仕方等)が外に立ち顕れてくること、それが結果としてこの世や自分自身に新しい意味や価値を生み出すことになるもの、と言ってみると したらどうだろう。物事や事物がもつ従来からの意味のその向こう側の本質のようなものが、自分の脳髄の中にあるものと結びついて、自身の内発的働きである かのように表現される、と言い換えてもいい。

 心理療法において、表現を重視するのも、根本的にはこのように考えているからであると思って いるし、私も究極的なところではそう考えている。それに対してオタクという現象は、この世のものとは言えない何かを、自分の内側から、この世に生み出す営 みではなく、卑下によって、その何かの神聖さは、この世的な( )に入れられて安全に保留されるという点で、「表現」にはあたらないと言ってみることは簡 単だが、では、そんな究極的な「表現」は果たしてダイレクトにできるものなのか、というのは難しいところで、実は「アート」や「芸術」というものも、その 「名」の「枠」の力によって、この世的に、ある程度安全な不可侵域が守られる、という構図をやはりもっている。こういうとらえ方をしたとき、オタク文化 と、芸術という名のもとの活動は、「この世的に聖域を担保する」という構図は双方にあるけれど、そのための方法が違うもの、ということになる。

 

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⑤ 守りは牢かゆりかごか

 

 オタクという現象構造にしろ、芸術という名の枠にしろ、それぞれ守りではあるわけだが、自分の内にしろ、この世ではないところとこの世とを貫く 「表現」、そういう表現の萌芽が、こうしたこの世的なトリック構造で、もしがっちりと守られきってしまったら、 この世に「表現」は生まれなくなる。

  ところで、実は発達障害の構造も、そういう「生まれにくさ」からとらえる見方モデルがあり、その場合は、生まれる、ということに向かう心理療法となってい くと言える。実際、心理療法的展開というのは、例えば「生まれない」「生まれにくい」というイメージの力が一度動きだしたら、クライエント自身やセラピス トの思いとはもはや独立に、この世的な意味では本当に非常に危ないところも通って「生まれる」に向かって動きが展開していくということにもなる。

  そういう事例も聞いたりしながら、そこで起こったことを、自分の言葉で解釈しなおすなども通して、ああ「表現」というものはそういうものだった、と「表 現」というものの根源的イメージを自分に刻むことになっていった体験は私にとってとても大事なものとなっている。その一方で生まれにくくしている構造から 出る誕生」を心理療法モデルとしてそれを目指すのは、自分の経験実感から言えば、それをするには、この世に生身の肉体を持つ人には(クライエントにもセラ ピストにも)負担が大きいと感じ出してもいる。そういう自分の感じ方が正しい、というのではなく、「閉じたところから出る主体の誕生」モデルが心理療法的 には正しいとしても、私には、私の心身的に無理なのだ、ということを一度認めてみる。自分はできないということを、悔しいような哀しいようなだけれど認め てみるところから、振り返りなおしたりいきつもどりつしてみるうちに、最近少し、オタク現象の構造、発達障害の構造というものは、大切なものが生まれにく くなっているガチガチのものではなく、ゆりかごのようにすることもできて、そこから、「表現」(ここを「主体」とは言わない)は生まれることを感じられる (信じられる)ようになってきた。芸術という守りからも表現はもちろん出てきたし、自称「オタク」の方でクリエイティブな方はもはや大勢いる。自分が発達 障害であることを土台に、まさにこの世的なところの外からの「表現」をこの世に生み出している方もいる。その方のブログをよく見に行く。

 大回りしたしたけれど、長八さんの世界にもどる。

 

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 こちらの長八さん作の龍は漆喰鏝細工ではなくて木彫らしい。松崎町にある明治創設の岩科学校。

 

⑥ 枠 額 表装

 

 明治になって、額に入った西洋絵画という絵なるものも見るようになったとき、人はそれをどんな風に思ったのだろう。長八さんは、狩野派の絵師でも あったから、もちろん絵も描く。襖絵や、美術館の傍の長八記念館となっているお寺には、長八さん作の八方睨みの龍などの天井絵などもあったが、江戸時代 の間は、その時代の文化生活空間を装飾するという意味の外には出ない職人だったはずだ。より納得のいく高い表現性を目指して精進する絵師や鏝絵師であった としても、それでも職人であったろう。

 掛け軸や、蒔絵といったものは確かに、襖絵や天井絵などの 表具絵よりも絵としての独立性は少し高そうなものではあるし、それは時代を遡ってずっと以前からあったものだが、掛け軸はやはり床の間を装飾するものだ し、蒔絵も室内小空間でプライベートに楽しむということで、生活の中での機能の外には出ていないのではないか。そういうものとは異質な、額に入った、絵と してだけでも存在する絵というものを知るというのはどんな感じのことだったのだろう。

 長八作品の鏝絵だが、絵の「額縁」までが漆喰鏝 「絵」になっているものが多いのだ。額縁部分を漆喰で盛り上げて木目等まで漆喰レリーフでつけてあったり。どう見ても竹製の額で、腐るとイヤと思った絵の 所有者が、額部分に防腐剤を塗布している途中で、あれ?と思ってこすってみたら漆喰だった、というものもあった。以前から日本にも、掛け軸にしろ蒔絵にし ろ、絵の部分と、表具職人が絵に表装を施した、絵を取り囲む部分とがあるわけだから、それらと西洋絵画の額というものとを比較把握はできたはずで、掛け軸 などでの表装とは少し異なる性質があるということまでとらえて、額についてを、絵の世界を高める、絵をとりかこむ、絵とは別のもの、という把握は したろうと思うのだ。そして木彫などもできてしまう彼ならば、額は額で別に作ることはできたはずなのだが、彼は額ごとを鏝「絵」とする。おそらくわかって やっているのだから遊び心になるのだろうが、彼はどうしてその遊び心を大事にしたかったのか。

 

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富士山の鏝絵もけっこうあった。額込みの鏝絵で。

 

⑦ 枠を超えないという表現は枠を超える

 

 西洋絵画でも、肖像画の周囲に額縁を描きこんで、肖像人物の手がその額にかかっている、というのをたまに見かけたことを思い出す。見た目は似てい るが、長八さんの額込みの鏝絵は、どうもそれとは性質が違うように思える。西洋絵画で肖像画の中に額を描き込むのは、額が絵とは別ものであるというこ と、額は絵にとって大切なものだけれど額なしでも絵は絵として別個に存在することに皆疑いをもっていないということが共通認識としての前提になっ ていて、その額に肖像画の人物の手をかけることで、その共通認識をひっくり返すというトリック体験を鑑賞者にしてもらったらおもしろかろ、みたいなことと して、見る側としては体験した。

 長八さんが、額込み鏝「絵」を描いているのはもちろん明治になってからだが、日本で明治以前に既にあっ た、額に近いものとしての掛け軸や蒔絵の表装を考えたとき、そこに貼り込められている絵についてを、その表装とは別個の絵と想定したその絵そのもののの存 在は、絵師や表具師などではない一般人の共通認識のレベルでも、そんな風に独立して感じられていたものなのだろうか。それに所有者が額部分を漆喰鏝絵に なっているとは気づいていないケースもあったように、必ずしも見る人を意識して描きこんだわけでもないことを思うと、それは彼自身の矜持とか宣言にも思え てくるのだ。

  狩野派の絵師であれ、鏝絵も施す左官工であれ、職人である、ということは、生活文化空間と共にありつづけることでこそ「意 味」を持つ。長八さんの鏝絵の漆喰額は、生活文化空間であって、建物であり、床の間であり、襖であり、天井であり、表具、なんじゃないだろうか、というこ とを思った。「表現」をするに、そこから切り離されることは断る、そのことまで含めてが私の表現だ、と。

 明治という時代の中で、それまで の職人的世界観からすれば、西洋という異質世界観に出逢ったことで、おそらくそれまで自明すぎて振り返ることさえありえなかった「職人であるこ と」が、逆説的に職人仕事を越えて「表現」されることになった、と言えないだろうか。

 職人でありつづけて職人を超えた職人の神様。

 

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 松崎町役場一室にあった床の間の土壁に直接描かれた掛け軸の鏝絵。虫喰い跡も古びた紙質のよれも漆喰凹凸で描かれている。墨絵部分の濃淡も漆喰凹凸。役場移築の際に、まわりの壁ごと美術館に移された。

 

2016.10.22 イーストウッド世界に、ある視点から入ってみた。。。記事まとめ①〜③

① 怒りのままでなくノスタルジーでなく

 

 クリンスト•イーストウッド監督の「ハディソン川の奇跡」を見た。面白かった。

 ラ•トラヴィアータ 道を踏み外した女③ - Fuji to Higanzakura

で、「ヘンな日本美術史」の一部分について、あくまで自分はこうとらえた、ということでだが、以下のようにまとめたことがあったが。

”  うろ覚え記憶からだが以下、山口晃氏の「ヘンな日本美術史」の中から。白熱するベースボールなりなんなりの試合があって、それをスタジアムで観客が見て感動興奮する。この場合、その試合が作品。試合を見て興奮している観客のいるスタジアムごと、メタ視点で作品にしてしまうという動きの始まりとして有名なの が、便器を展示して泉と称したマルセル•デュシャンの作品。以降意識のメタ化はどんどん進んでいて、そのうち人類は地球の裏側に寄せ集まって窒息死するし かなくなるんじゃないかと思うが、そういうメタ化へメタ化へと向かう意識の流れは流れとして止められるものではないけれど、その流れの中にあっても、それ でもそもそも「試合」が面白い、という感覚は大事なのでは?、みたいなことが書かれていたと思う。”

 「ハディソン川の奇跡」だが、上記のような、近代的なメタ化意識への流れの中で、そこをどう生きるか、ととらえてみるのはどうだろうか。飛行機を咄嗟の英断によってハディソン川に着水させ乗客乗組員全員をサバイブさせたとして民衆が感動興奮し、その機長が英雄となっている状況にあって、その機長の判断は、むしろ乗客を無駄 にとんでもない危険に晒したことであり、そこでたまたまに全員存命だったからというだけで、結果的に英雄的パフォーマンスと民衆に誤解釈されて騒がれてい るだけという現象なのかもしれず、もっと適切妥当な判断があったのではないか、と最新のシュミレーション技術も駆使して徹底調査していく側の流れを、上記 の近代的なメタ化意識への流れととらえてみる、というふうに。

 こういう機長を追いつ めていってしまう現代社会への怒りも、イーストウッド監督の創作モチヴェーションにあったのでは、という推測もあると聞いた。確かに、その場合、メタ化意識としての検証調査側は、人として何か大事なものをことさらに無視しているといった感じの、観客側からは否定的な印象をもたれるものとして表現されるだろうし、映画でも少しそんな感じになっている。実際のところ、機長は、この時代的な流れの中で、比喩的に言えば『生き埋め』にされていった可能性も十二分にあったろうことを思うとき、メタ化意識の流れは時代の理(ことわり)だとし ても、また、その時代に生きる自分も好むと好まざるとに関わらず気づきもせずにメタ化意識側にもなっていることはあるはずだが、怒り的な何かは、私も自分の中に感じている。

 ただその「怒り」を、そういう時代的流れを自分とは別のところにある悪として単に否定するだけにしてしまったら、きっ と現実と相容れない。それはあまり害のない状態でも、今の時代に生きることをやめた懐古主義ということになるだろう。けれどちなみに私は、「生き埋め」に なるのなんてもちろん怖いしイヤだし、とにかくそんなこととは無縁のつもりで、懐古主義であることさえ気づかないままにぼんやり生きてホントは逃げ切りたい。

 でももう自分自身は、それはできなくなってしまっている状態なのだとしたら、でも子どもには、人が生きる意味や情動があるべきものとしてあるような、そんな世界でずっと生きててほしいと願うだろうし、そのためにそんな世界も守るべく、親としてできるだけのことをしたい、となるだろ う。

 それでも子ども自身も、ただ守られている状態では、そういう世界にはもう居続けられないんだと自ら気づいてしまったら? そのときは、「子ども」ではなく「同士」になるんだろうか。

 

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 マラリアで滅んだ貴族の城館跡廃墟を用いた庭園。イギリスBBC番組で庭師さんが「世界で最も美しい庭園」と言っていた。アメリカザリガニとの闘いだそう だ。おそらく西洋タンポポともだろう。在来種も、すべてを席巻していく外来種も同じく生き物だ。悪とするのではないがここは守らせていただく。ノスタル ジーではない。自ら美を欲し作ってその中を生きていく、ということ。

 

② 現代という魂の働きはベースとしては不親切 

 

 機長は、乗客や自分らも守るべく、離陸から着水までの5分弱の短い間に、経験と実感を総動員させて究極の判断をしてそれを完遂する。そのことを追求し追いつめていくことについて、見ている側は、まともな人間だったらそう感じるでしょう的なかなり集合的な感覚で「それはおかしい」と思うわけだが、そ ういう、人の一定方向に動く情動自体を、メタ的に俯瞰してとらえ、そこにあるとそれぞれが思っていた、人としての共通普遍真実的な意味存在を解体していく のがメタ化意識だ。だからそれはもう底なしであって、人が生きる「意味」のある世界を守りたいといっても、「人としておかしい」という感覚から「だからそれは間違っている」というように証明しようとしても決してできない。基本的に勝ちのとれない戦であって、底なしに自分の存在の意味がなくなっていく世界の中で、そのことに「それはおかしい」感だけで反応すると、それはヒステリーになり、あなたがおかしい、となる構造に現代意識というのはなっている。

  ところで機長本人は、情動的なところから怒れる余裕はなく、あれでよかったはずだという自身の確信感もろともに「生き埋め」となっていく可能性も覚悟し闇へと落ちていくようなその底なし感の中から、ふっと、メタ化意識の論理構造にも人や生き物としての「ファクター」をのせられそうな方法を、思いつく。そう いう意味で、彼は、自分を追いつめる現代の論理を否定してはおらず、限りなくそこに入り込んだ末に、ある種の光明のようにそれを思いつくのであり、この段階で既に、クリエイティビティーの領域で起こるようなことだと思うのだが、その方法からさえも「形式」だけが実施されるものとなっていて人としての何かが抜け落ち、同じようなシュミレーション結果とる。

 それは、現代意識の自律的な理としての動きなのか(この場合は怒れない)、それとも、 現代意識から利を得ている人(現代に生きていれば皆これはしているが)による「人為的意図的な作為」なのか(この場合は、その作為を暴くのが自分を守るこ とになることがある)、というこの2つの違いの境は、けれど実は明確に客観的にあるようなものではない。だからそこに意図的作為があることを暴くことに 踏み込むかどうかは、相手が悪だと信じてするのではなく、ただ異なる自分自身の感覚が信じられるかということと、今このタイミングでだ、ということへの 「賭け」なのだが、機長はこの賭けに勝ち、そこから現象が反転していく。 

 機長は、最終的にも、自身の判断が100パーセント正しかった ことを客観的に証明したわけではない。そもそももともとの追求側のシュミレーションにしても、シュミレーションが100パーセント正しいと言っていたわけ ではなく、前例などから総合的に考えたら最もオーソドックスな空港に戻るという判断が、これだけシュミレーションで安全にできるという結果が出ていること から見れば、それが高確率でできたと推測でき、ハドソン川に着水しようなどという大それた試みよりもよほど安全確率は高いと判断される上、たまたま皆無事 だったとはいえ、救助のための社会的リソースの莫大な動員などは、社会経済へ1個人が徒にダメージを与えたことにすぎないととらえることもできる(そうで あれば保険会社は莫大な損失補填を払わなくてもよい)、という見方への「説得力」を、単にシュミレーション結果が高めている、というだけのことだ。だから それに対して、機長の側は、人命を守るという点からの判断、という見方への「説得力」を、それ以上に示せるかどうか、なのだ。

 機長の「賭け」から、客観性を求めてメタ化していく現代的な意識からの事象検証の世界だった審査会の場が、身体的な生身のレベルで「腑」に落ちて納得するという、人 の「こころ」がパラメータとして入ってくるような「説得術」が展開している世界へと、場が変容する。「説得術」というと聞こえが悪いかもしれないが、メタ化意識は、機長の確信感をも底なしに呑み込んでいく圧倒的なものではなく、機長側の意識とそれは、対等なものとなりえる場となった、ということだ。

  追いつめられるところまで追いつめられ、他に道はないというところを冷静に判断応答し、現象を見事に反転させたこの審査プロセスの付置は、飛行機着水判断 とその完遂の付置ともパラレルに重なり、それがいったいどういうことだったのかが立体的に(身体レベルで)浮上してくることになる。 

 そしてそれまで追求側だった人にも、機長判断に肚の底から納得したとき、人の「こころ」を持っていることが見えてくる。

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③星を欲する者だけが

 

 機長の咄嗟の英断でハドソン川に飛行機が無事に着水したという出来事は、私はかなり強烈な印象で覚えていて、これまではそれについて「すごい機長 がいたものだ。そんな大胆な英断をしてそれを無事に実現してしまうなんて。世の中って、テロやら虐待やら悲しいことが一杯あるけど、やっぱりたまにすごい な。」というファンタジーの中にいた。①で書いたような、うすぼんやりした自分でも気づいていない懐古主義的ファンタジー世界だ。私が本当にそのままそこ にいたいのだったら、この映画は見なかったことにしておけばいい。

 人が生きる「意味」のある世界を守る、というのはどういうことか。「世 の中は捨てたものじゃない。そこを生きる意味はある。」と感じられるような世界を、人が得られるようにすること、なのだとしたら、ハドソン川に無事着水と いう実際のイベントを知った時、私は既にそれはもらっている。この映画はむしろ反対に、「生きる意味や希望は、世の中から与えられていいはずだ、というこ とが前提のそういうファンタジーは、実は現代社会の中では覆されるものだけど、そこをどう生きる?」ということに向き合うことになる。

 機長は、自身が英雄であることを否定する。「アテンダント、副機長、レスキューの人たち、あらゆるどの一要素が欠けても全員サバイブはありえなかった」と。もちろん乗客自身らもだ。

 「現代社会で人のこころを持ってサバイブするというのは奇跡だが、君も奇跡実現の一要素としてそれをつくり出したくはないか?」

  以前、どこで読んだのか、希望のある人は星を眺め、絶望している人は星を欲する、という印象的な表現を思い出した。

 星を欲する者だけが星をつくることができる。

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  そしてそのことは、自分が子どものように愛しまれている存在として、希望や喜びをも持てるようにと、世の中から守られていると感じる、そういうファンタ ジーを持たない、ということではきっとない。おそらくむしろ反対だ。私が一応女性であるため、いわゆる「おんなこども」の部類に入るからでもなくて、それは成人男性でも同様に。「自分は世の中に守られてもいいはずだ」と「自分は守られている感」というのは異なるもので、「自分は守られている感」は、自分が、自分も参加してつくっている奇跡の一要素、と感じたときに感じるものだから。

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